性犯罪は魂の殺人

私は物心がつくのがすごく遅かった。

小学5年の時に急に自我が芽生えて急に人を笑わせたい欲求が芽生えて、お笑い芸人になりたいと思ったが、それまでの記憶は本当に物凄くインパクトの強い事しか記憶にない。

 

だけどとんねるずのノリさんも小学4年くらいの時に物心がついたと本に書いていたからそういう人は結構居るのかも知れない。

 

物心つく前の事で覚えているのは、父親がその場に居る全員がこれが私の父親だとわかっている場で彼自身以外誰1人理解出来ない訳の分からない事で癇癪起こして怒鳴り散らして姉と2人恥ずかしい思いをしたことや、2歳から4歳くらいまでなのかわからないけど父の仕事の都合で旭川に住んでいた事。だけど雪がすごく高く積もってた以外の記憶は基本的にはない。

 

だから幼稚園の何々先生がどうのこうのした時こういう感情を覚えたとか、小学1年の時こんな事があったとかいう、日常的な記憶がある人はすごいなと思うけど、そういう人の方が恐らく大多数なんだろう。

 

私が物心つく前に起こった事で鮮明に覚えている事件が一つだけある。

旭川から札幌に戻って一軒家に住んでいた時、幼稚園からの帰り道で酔っ払いの中年男に声を掛けられた。

いい物があるよだか、面白い物があるよだか、そういった類の事を言われて、幼稚園児で子供で馬鹿で世の中の物事が全くわかっていなかった私は言われるがままについて行って、国道からは見えない資材置き場の道路からは死角になる土管の上に乗せられて、下着を脱がされてその上に馬乗りになられて、その男の性器を私の性器に数十分にわたってこすりつけられた。

いや、実際数分だったのか数十分だったのかわからないし、その男が射精したのかしてないのかも分からない。

私はもちろん助けを求めて大声で泣いたけど、「大きい声を出したら犬が来るよ」、と言われて、犬も怖かったから必死に声を殺して泣き続けた。

 

今の若い人には信じられないかも知れないが、私達が子供の頃はみんな野良犬に追いかけられて犬を怖いと思う時代だった。

今は野良犬が居たら即保健所が捕まえてくれるから犬を怖いと思う人も少ない様だが、私もこの性犯罪被害がその後の人生を生き地獄にするほど重大な事だとその時点でわかるほどの知恵があったら犬よりもその男をまず追い払うべきだと判断出来たが、なにせ何も知らない幼稚園児だったので正しい判断が出来なかった。

ギャンギャン泣きながら家に帰ってまず母にその性犯罪者にされた事を伝えたが、母は警察を呼ぶ事すらしなかった。

 

私が物心つく前に鮮明に覚えている記憶はあの資材置き場の風景と、自分の身体の3倍くらい大きな大人の男の酒で赤くなった顔、犬が来るからと脅されて声を上げられなかった事、そして母がその事件を訴えても何のアクションも起こさなかった事。

 

その後おぼろげに覚えているのは学校の先生だろうが親戚のおじさんだろうが、成人男性はみんな怖いと思った事、子供の作り方を知った時にみんなショックを受けたと言ってたけど私は「ああ、あの例の男の汚らわしく激しい欲求を満たす為にする行為ね」と嫌悪感を覚えた事くらいだった。

 

私の人生の1番最初の記憶が性犯罪被害だから、世の中のほとんどの事を「男には他人の人生を滅茶苦茶にしてでも満たしたいほど激しく汚らわしい欲求がある」という価値観のフィルターを通して経験したから、当然「セックスは愛する者同士が愛を確かめ合う為にする行為」だとか綺麗事を聞く度に、「違うよ、男のあの激しく汚らわしい欲求を満たすだけの為の行為だよ」という価値観は変わる事はなかった。

 

運の良い事に同級生は中年男性ではないので同級生の男子達に嫌悪を抱く事はなかった。

高校の時も仲の良い友達は男子やバイト先の大学生の男性で、好きな人も沢山出来たし実家に住んでいる間は誰かに性的な嫌がらせを受ける事もなく(後日言及する父親の行動を除いてはの話だが)、仲の良い男子とは自慰の話もするほど踏み込んだ話をするほど仲が良かったので、逆に女の意味不明な複雑さとか裏表とか嫉妬するおこがましさとかいい歳してトイレに1人でいけない生態が理解出来なかったので、男子と遊ぶ方が気楽で楽しかった。

 

だから実家を出て1人暮らしを始めるまで、男の性欲の激しさやその性欲に対する私の嫌悪感、性のトラウマで人生に絶望する事になるのは、実家にいる時には予測出来なかったのである。