姉からの手紙5通目①

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4,5歳の顔の可愛い女の子が大人に保護されず一人で歩いてたら性犯罪被害に遭うことは当然の必然だ。

私に危害を加えたあの酔っぱらいの中年男はしなかったけど、小さくて絶対に入らない穴を損傷させてまで挿入する性犯罪者だって、自分の欲求を果たしたら口封じでその行為の直後に被害者を殺害するのも本当に高い確率で起こり得ることだ。

あの日あの男にされなくても保護する責任のある者が保護しない状態で毎日幼稚園に通わせたら他の男に違う性犯罪をされている、言い切れる。

 

最低限保護を必要としている子供を保護せず生命・身体の危険に晒すという保護責任者遺棄罪という犯罪なのに、姉はそれを「子育てに正解あるかって言ったら難しい所だし」という認識だったんだ。

道理で何を言ってもすれ違うと思った。

 

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私の部屋のドアを開けて私が泣いてるのを見てバカじゃないのみたいに見下した目で

「お前が泣いてもしょうがない」って言ったじゃないか。

「それを知ってるから誰にも見られないように隠れて泣いてる」って私答えたじゃないか。

 

父と姉が共感能力ゼロで話を聞いてくれないから姉がテレビ観たり部屋で音楽聞いてる時に

母は私の部屋に来て愚痴って泣いてたのに、姉が居る時間に私を選んでたのに

姉は母は本当は姉に相談したかったのに姉が部活で遅かったから

泣く泣く美穂で我慢したみたいな言い方するんだね。

そこまで自分を過大評価した記憶のすり替え出来るって才能の一つだね。

母が仕事から帰宅して晩御飯の支度もせずにまっすぐ私の部屋に来て愚痴ってたとでも思ってたの?

母は仕事から帰ったらまず着替えて夕食を作って、全員が食べてある程度片づけてから私の部屋に来てたよさすがに。

30万円の収入の中から10万円で家族四人のやりくりするの大変だったって言われて

母も働いてたのに父と母の給料合わせて30万円しかなかったのとか疑問に思わなかったの?

母が仕事のストレスで顔面の片方がマヒした事もあるのに母が働いてたことすら忘れてるの?

 

私が神奈川に行く直前までフルパワーの鬼ババアだった祖母が

たまたま私が新聞奨学生で帰省できなかった一年間で急激にヨボヨボになって力関係がかわるなんてそんな可能性どれくらいあるんだよ。

誰がどう考えたって私という共感能力がある母の母親役が神奈川に行った後

父も姉も何が嫌かわからなかったりうるさいしつこいテレビの邪魔と言って

聞いてもらえないから自力で対応出来る様になった可能性とどっちが大きいんだよ。

 

どうして何もかもを自分の都合のいいように解釈して生きられるんだろう。

自分が被害者だったら忘れないけど自分は関係なかったからそのせいで

30年以上経った今も不眠症が治らない私に平気でそんな妄想を言えるんだ。

なんで私こんなやつ助ける為に睡眠時間削って手紙送ったんだろう。

 

思い遣りを利用されるのが一番悔しいんだよ。

母と姉には思い遣りを利用されて搾取されるだけだから、

もう関わる気にはならない。

手紙はこれで終わりではないです。

更なる狂気の世界に展開し、私は激怒で発狂します。

私からの手紙四通目

姉ちゃんへ

 

お元気ですか?

相変わらず年末年始は仕事で、唯一のお休みであった元旦は○○家の集まりに参加してきました。

その後の土曜日はやっとこ○○さんと旅行に行けたけど。

 

実は今、ちゃんとした心理療法士さんのカウンセリングに通ってます。

あれだけ二人ともの引越しが終わるまでもう絶対に誰にも言わないでときつく告げたのに、○○さんの引越しが終わらなかったことも○○さんが新しい職場に異動になったばっかりだから有給取れないと言って土日しか引越しや前の部屋の片付けの作業ができなくて前の部屋の契約を2週間延長して週の半分は前の家に帰って朝ごみを捨てて会社通ってるから私は自分の引越しから1ヶ月以上仮住まい状態だよ、○○さんの荷物の総量わかるまで物の定位置も収納も決められないからね、と伝えてる最中にが毅兄さんからお礼届いたわ、xxx姉さんはくれないさ、とメールきたことでもう激怒を通り越して死にたくなった。

 

生きてる限りこのきちがい女にいやがらせされ続けるから死にたいと思った。でも、私が死んだら○○さんが後追い自殺するって言うから死ねない。だったら母が死ねばいいのに、と考えるようになり、毎日死ねばいい死んで欲しいと思う自分がいやでその状態が苦しくて、それを直すために1月から行き始めた。

 

1月は3週連続で私の抱えている問題の説明をして、2月から2週に一度のペースで治療をしているけど、2週間前のカウンセリングで、お父様はほぼ確実に発達障害だと思われるけど、今は図書館でたくさん発達障害に関する本が借りられるので美穂さん自身も読んでみて確認してくださいと言われたけど、私は月曜から金曜日まで仕事で帰ってきたらまっすぐスーパーで買い物して料理作って○○さんが帰ってくるまでに時間があったら短大の教科書読んで、食事の後は片付けに次の日の米とぎに時には洗濯、レポートやったり今週の日曜日も科目修得試験だったから土曜日も6時間くらい勉強して、とてもじゃないけど短大卒業まで教科書以外の本を読んでいる暇はないと思う。

 

でも父のあの異常さは発達障害以外に説明のつけようがないと思うから発達障害だろうと思う。

それと、母の人の気持ちのわからなさが異常だと指摘を受けて、話をすればするほど母はそういった人の気持ちだとか情緒だとかを理解できない脳の機能不全か障害の可能性があると言われた。ただ単に能力が低いだけかもしれないけど、とにかく母は気持ちを理解する能力がないのだと言われた。

 

それを言われたら、父は自分が好きで発達障害になったわけじゃないからかわいそうだよなと思うし、母も悪気があってやってるわけじゃなくて本当にわからないからしょうがないんだということを受け入れようともがくと、悪気がないから、障害のせいだからって二人の娘にこんなに苦しい人生を歩ませてもいいっていうの?二人の娘がしょっちゅう死を考えるほどトラウマのかたまりにされたのに本人たちに悪気がないから許せっていうの?と複雑な気持ちになって、本当に母は人の気持ちがわからないだろうかと考えると、本当にわからないとしか思えない不愉快な言動を思い出してますます死んで欲しいほど恨みがつのって、育ててくれた親に死んで欲しいと思う自分に対する罪悪感で死にたさがますますつのって、本当につらかった。

 

○○さんに今カウンセリングで両親が人の気持ちがわからない障害の可能性が大きいと言われていて、だからって娘二人がこんなに苦しい目にあっても仕方ないで済まさなきゃいけないのって憤りが大きくて苦しくてつらいの、だから支えてくださいってお願いしたら、「わかった。俺なりの支え方で支えるよ。(にやり)」みたいな感じで重くならない感じで受け止めてくれて支えてくれたからなんとか生きてるけど、○○さんの支えがなかったら本当にやばかったかもしれない。

 

私がまだ実家に居た頃、テレビでお涙頂戴のドラマとか見て私と姉ちゃんと母が泣いて父はなぜ泣いてるのかわからないという感じだったから母が人の気持ちがわからないとは気づかなかったけど、テレビドラマっていうのは馬鹿でもわかるようにわかりやすく誰でも泣けるように作ってあるから母にもわかったみたいだけど、実際の人生の生活の中で、どんなに性格の悪い人でもこれはわかるってことが母にはわからないって、日曜日の朝にやっと諦めがついた。性犯罪の何がいやなのか本当にわからないのかもなとも思った。

 

○君と同棲し始めてから初めての帰省の時に、紹介に連れてこないなら写真見せろっていうから写りのいい写真をみつくろっていったよね。そりゃ20歳前後の時よりは28歳前後になりゃほとんどの人は容姿が劣化するよ。でも、28歳くらいの時に栃木に○君と二人で旅行に行った時のアルバムを見せたら○君の写真を見た第一声が「わぁ~、変なったぁ~!」。あの言い方からして私の笑いが取れると思って言ったんだよ。

 

その当時世界で一番愛してる恋人のことを劣化して変になったと言われて不愉快じゃない人は居ないということがわからないにとどまらず、私のウケが取れる面白いことを言ったという感覚の人だよ。

 

自分が恋愛感情を持ったことがなくても普通何十年生きてたら恋人を悪く言われたら不愉快だってことはきちんと人の気持ちが理解できる人ならわかるはずでしょ?

 

母方のばあちゃんはザ・見合いっていう結婚で結婚の日までおじいちゃんに会ったことがなかったそうなんだ。だから母方のばあちゃんとおじいちゃんの間に恋愛感情がなかったんだろうっていうのはわかるよ。xxx姉さんが○子ちゃんだか△子ちゃんが高卒の人と結婚するって言ったら「短大まで出してやったのに高卒の男との結婚なんて許さない」って勘当したらしいしね。その後孫が出来て会うようにはなったみたいだけど敷居は相変わらずまたがせないみたいな話を母がしていたよ。

 

私と姉ちゃんが5年とか8年とか彼氏と良好な関係を続けて愛し愛されて幸せにすごしてるのに「結婚に結びつかない相手なら別れてさっさと結婚しろ」って結婚相談所の資料に丸つけて送ってくるくらい、愛だの恋だの理解できないくだらないことしてないでそんなことよりずっと重要な生活のために結婚することをしなさいという母とxxx姉さんの価値観には共通点があるよね。子供は自分と別の人格を持った全く別の人間だと認識できずに、親の価値観に従って恋愛だのくだらないことしてないでちゃんと年収とか学歴とかわかりやすいステータスの高い人と結婚しなさいって、子供の愛とか幸せはまるっきり無視。子供は自分の所有物で延長線上の物だから自分の思った通りにならないことは許されないみたいな感じだよね。

母方のばあちゃんの娘たちから見たら結婚ていうのは生活のためにするものなんだろうしね。

 

父の異常さは物心ついた瞬間にわかるくらい明白だったから私と姉ちゃんの目には母が人間として成立してない父の面倒を見てる偉い人みたいに見えたけど、自分が結婚して特に実感としてわかったけど、長年結婚生活を続ける夫婦は同じくらいずつの問題がある者同士なんだろうね。私があの両親に育てられて問題だらけだから同じくらい問題物件の○○さんと釣り合うんだと思う。同時に、○○さんみたいな優しい人と釣り合う私は価値のある人間なんだろうなとも思える。だから姉ちゃんもヒロさんのことを尊敬して愛してるなら、自分の価値を過小評価しちゃ駄目だよ。姉ちゃんはヒロさんと釣り合うくらい魅力的で素晴らしい人なんだよ。それを認めてあげないとヒロさんを過小評価することと同じだよ。だから自信持ってね。

 

父が発達障害で人の気持ちがわからないのは目に見えてたけど、普通の感覚の人は発達生涯の人と長い間一緒には居られないんだよ。気持ちをわかってもらえないことがつらくなるからね。それが同じく人の気持ちがわからない母だから気にならずに連れ添っていけてるのさ。それには気がつかなかったね。

 

本人に悪気はなくても、私のハンデはあまりに大きく、それをこの世でたった一人唯一私を守れる存在だった母が守れなかったこと、守れなかったならその後のケアとして「体の何倍もでかい大人の男に力づくで傷つけられてどんなに怖かったろうね、どんなに悔しかったろうね。ママが敵を打ってあげる。」と寄り添うこともしない。面倒に巻き込まれて困った。こいつは小さいから私が黙ってれば隠蔽できるだろうみたいな感じ?

 

そのことで私がカタワになって、それでも母が自分を責めないようにと気を遣って30歳まで言わなかった私が意を決して「私結婚できない。性犯罪被害のトラウマでセックスできないから。」と泣いたら「ひどいことするね」とぷいといなくなっちゃったのも、姉ちゃんは母を過大評価してるから驚愕してかける言葉がなかったんだろうというけど、その後の言動からして母は理解してないよ。「ああ、あいつね、私関係ない」て感覚だよ。

 

今まで9人くらいの男と付き合ってきたけど、専門学校の彼以外はみんな同じ、この人こそはと思って付き合ってトラウマを告白したら「君の気持ちの準備が出来るまで待つよ」って言うけど待ちやしない、口ばっかり、どいつもこいつもサカッてサカッてやることしか考えてなくて手を出してくるから男性不信もセックス嫌悪も増幅するばっかりで、付き合ったらセックスしなきゃいけないから両想いになっても付き合わないでデートするだけっていう選択肢をとらざるを得なくなった私が母を思いやらないで20代前半から「またセックスが原因でお別れした」、「今度の人も口だけで待ってくれないからお別れした」、「どいつもこいつも待ちやしない、もう専門学校の彼みたいに私の心を尊重してくれる人になんて出会えないよ死にたいよ」、ってリアルタイムで母に全部報告してたら今よりは理解してたのか?それとも、弘と別れた後に「私のトラウマを尊重しない男なんてこっちから願い下げ」って私の言葉に「そりゃお付き合いしてたら求めもするでしょうよ」と、私の気持ちには寄り添えないのに弘の気持ちには寄り添える言葉を発して私は20代前半から母の異常さに気がつくことができたのか?

 

私と肌を合わせる前から「男は浮気する生き物だよねえ」と繰り返し主張し、面白い冗談ひとつも言わないけど冗談は全部「シマムラの社長の愛人が・・・」「なんとかの男の愛人が・・・」とにかく俺はお前と付き合ってても他に利用できる穴があったらいつでもぶっこむからな、さしあたり利用できる穴がお前しか居ないからお前を性欲処理のはけ口にするって獣の弘がセックスを拒絶されてかわいそう、付き合ってるのに幼少の頃の性犯罪によるセックス恐怖症とか意味不明のわがままでやらせないなんてお前はひどい女だみたいな感じだからね。

 

たとえ本人に悪気がなくても、私が20代の頃に男の獣さに絶望しても一人自分の心にとどめて母を責めなかったのに、そうやって思いやった母に「私は察したよ。お前は何も言わなかったけど。」と私はそんじょそこらの母親と違ってスーパーお母さんだからと私相手に自慢されたら私がどれほどダメージを受けるか、「早く機嫌直して遊びにおいで。待ってるから。」と取るに足らない些細などうでもいいことに大人気なくへそを曲げてるみたいな扱いを受けたらどれほど許せないか、わからない母にはもう会えないんだよ。

悪気がなくても私のハンデは本当に致命的でそのこと自身だけでも十分自殺の動機なのに、それを母が理解しないにとどまらず更に傷つけられると、本当に自殺しか考えられなくなるんだよ。

 

姉ちゃんにだけ親の面倒を押し付けて介護費用は出すからあとはヨロシクって押し付けるのはあまりに申し訳ないかなって思うけど、でもあの親にかかわると多分私次回は壊れてしまうんだよ。

本当に申し訳ないと思うけど。

 

姉ちゃんに○○さんの手術のこと書いた手紙送った直後に届いた母の手紙も、「毎日美穂のこと考えてる。美穂のこと考えると胸はドキドキ、胃はキリキリするけど自業自得なので我慢します」って、美穂がいじめるからママかわいそう、美穂が加害者でママが被害者でかわいそうって姿勢が見え見え。自分が加害者で私が被害者だってことは認めないのか理解できないのかわからないけど本当に逆鱗に触れるよ。

「美穂に無視されるとさびしいです」って書いてあったけど、「私は察したよ。お前は何も言わなかったけど」と自慢されたり「早く機嫌直して遊びにおいで」と言われた私の傷はさびしいなんて生易しいものじゃないんだよ。母のさびしいなんて、自分の延長物として自慢の種にしてたものが手を離れてさびしいだけじゃないか。

 

今回の心理療法士さんは前回のカウンセラーよりずっと信頼できるけど、二人とも共通してる意見は、私はもう親と接触を避けるのが最善の方法だって。接触するたびに傷つけられるよって。

 

だから姉ちゃんも責任感はあってもそこまで実家に遊びに行かなくてもいいんじゃないかな。確かに育ててくれた恩はあるけど、あの両親に育てられた私たちの被害は多少他の家庭と違う両親とのかかわり方をしても許される事情だと思うけど。

 

姉ちゃんが自己評価が低すぎるのはあの両親のせいなんだよ。姉ちゃんは自分が言うほど駄目じゃない。

心理療法士さんに聞いたけど、確かに発達障害は遺伝することはあるけど、不器用だったり失敗するのも発達障害の特徴のひとつではあるけれど、それより大きな特徴は人の気持ちがわからないことだから。そこまで空気が読めて人の気持ちがわかって優しいお姉さまは発達障害ではないですとのことだった。

 

発達障害ではなくて、普通の情緒がわかる親に育てられてれば「悲しいんだね」「腹立つんだね」と感情の確認や愛情表現の交換をして育つのにどんな感情を表してもどちらの親も理解しない共感しない、「これでいいの?」と人とのかかわり方に自信が持てなくなって人の輪に入った時に不安で怖くなってしまって手先が不器用になったり失敗したりしてる可能性が高いって。私もその意見に賛成だよ。

 

確かに母みたいに先天的に手先が器用な人も居るけど、最初から何でも器用にこなせる人の方が少ないよ。みんな失敗して繰り返して出来るようになってるだけだと思う。姉ちゃんは出来ないできないと思い込んで緊張してますます失敗してるだけだと思うよ。

不器用で出来なくても姉ちゃんは動画見て家で練習して出来るようにしたりして偉いよ。

ゆとり世代とかだったら「自分、できないんで、先輩お願いします」みたいに甘えて終わりだと思うよ。

 

姉ちゃんは人の気持ちがわからない両親のもとで愛情表現の仕方も参考に出来る対象が居なくて人とのかかわり方も自信がないんでしょう。私も人と付き合えないんだ、全然友達居ないよ。

人との距離感の取り方がわからないし複雑で私の手に負えないって深い付き合いから逃げてる。

○○さんだけが親友で私を理解して欲しいと気を遣わずに自己主張できる相手な気がする。

仕事も馬鹿なミスたくさんするしよく自己嫌悪に陥るよ。

でも姉ちゃんはヒロさんと生活を始めたことで両親の異常な価値観から卒業してヒロさんの人の気持ちがわかる感じとか愛情表現とか、学んで上書きしてるところなんだと思うよ。

 

私も○○さんと結婚して、結婚と同棲って違うんだなと思うし、やっぱり絆とか信頼とか連帯感は結婚して初めて味わう感覚だね。

 

元旦に○○さんの両親のおうち(団地)に私と○○さんと、○○さんの弟さんとその奥さんと、その夫婦の子供たちの高校1年生の男の子と小学5年生の女の子が集まったけど、そこで○○さんのお母さんが「○○を美穂さんにあげたから」と言ったの。結婚するまで自分のものだと思ってたってことだよね。

 

○○さんはお母さんから2週間に一度くらい携帯に電話あって「折り返し電話ください」って留守電入ってもかけなおさないで半、音信不通みたいにして拒絶の意思を表してるのに、美穂さんと結婚するまで私のものだと思ってたって、本人と嫁がそれを言われて不愉快に思うとかわからないみたいだし、もう一人の息子もその嫁と結婚するまで自分のものだと思ってたんだろうし、それを孫の居る前でも言える神経がもう異常だと思う。

 

私がこれを異常だと思ったっていうのは○○さんには言ってないけど、こういう親に育てられたから○○さんが問題ある人に育ってしまったのもわかるので、お互い異常者を親にもったせいで生きていくのつらいねって傷なめあって支えあって癒しあって生きてるよ。どちらかにこの育ての親のトラウマがなかったら私たち既に別れてると思うわ。自分が問題あるって自覚してて、だからお互いもうこいつしかいないやってなってるからね。

でも問題も山ほどあるけど私にとっては生きるよすがだよ。いい所も山ほどある私にとっては必要な人なの。

 

姉ちゃんも私の育ての親の異常さを骨の髄から共感できるこの世でたった一人の同胞で同じ被害にあった被害者同士だから姉ちゃんの悩みや感情を私だけが理解できることもこれからいっぱい出てくると思うから何かあったら私に言って。

 

さしあたり姉ちゃんが自分が思ってるほど駄目じゃないよ、親の問題から自己認識を誤ってるだけだよと伝えたくてお手紙を出しました。私が先週苦しんだみたいに姉ちゃんが苦しまないで楽になれることを祈るけど、もし苦しめたらごめんね。 それでは、またね。

母かからの手紙一通目

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この手紙だけを読んだら「愛されてたんじゃないの?」と勘違いする人が居るかもしれない。

 

だけど、証券会社の営業で北海道トップの成績で月給50万円もらってたし

東京本社の人が札幌支社に来るたびに表彰されていたから金融投資にも

自信が有ったし、北海道大学卒で国家公務員の5歳年上の父が月給40万円なのに

自分の方が高収入だったから父を益々見下していたのに

色んな金融投資商品にばらしてリスク回避してたのが一番利息の高い詐欺商品に手を出して

それまで投資してたの全部解約して全財産を詐欺会社に預けて

2010年にその詐欺会社が警察に検挙されて全財産失って

弁護士費用の30万円すら手許に残らなかったから私が50万円送金して

インターネットで詐欺分野に強い札幌の弁護士事務所も探して紹介してあげた。

 

私は学費も新聞奨学生を辞めるから部屋を退去して新しい部屋に移る時の

敷金、礼金、前家賃、契約手数料も運転免許取得費用も

留学の前に送られたお金も、オーストラリアから帰国してから通ったスクールの学費も

全部借金だと思ってたし返すつもりでいたから、

その詐欺で全財産失った一年だけで150万円親に返金した。

最後の12月の送金の時には私の口座残高3900円くらいになってまで送金した。

 

娘に会う為に3万円払うのがドブに捨てる様な無駄と思うほどお金が全てだった親だから

何千万円だか何億円だか知らないけど、それを全額失ったのは死に匹敵するほどのショックで

色んな機能が失われただろうと心理療法士さんは言っていたけど、

詐欺で全財産失う前は宝石やら服やら、高価な物を自慢するのが生きるよすがだったのに

全財産を失ったらもう私しか自慢するものがなくなって、

あなた達のおかげで得たものじゃなくて私という人間の志の高さと努力で得た物なのに

あなたが私を自慢の種にするのはやめて欲しいと思う。

 

オーストラリアに行く前に盲腸になって入院することになった。

一回目の入院は散らす為の入院だったけどそれから一か月しないうちに

再発して手術入院することになった時に初めて、

母が私が二十歳くらいの時に私の名前で保険に入っていることを知った。

私の知らない所で私の名前で保険に入ってるなんて部分があるんだって意外に思った。

 

盲腸を散らす為の入院の時も手術入院の時も、

入院代も手術代も私が留学の為にしてた貯金から払った。

盲腸と散らす入院の間も手術入院から退院してもすぐには仕事に復帰できなくて

派遣社員なので時給で給料をもらっていたので計3週間かそこら仕事を休んで

その分の減収に手術代、入院代の支出で貯金は尽きて、

母が保険に入ってくれてなかったら借金しないと生活できなかったなと思った。

保険会社からの入金があって私の貯金から払った手術代、入院代を補てんできたので

減収はきつかったけど借金をしなくてもなんとか生活が回るくらいには立て直した。

 

そしたら母から連絡がきて、

 

保険会社から振り込みまだなのか、

なんで私の口座に入金してこない、

お前まさか使い込んだんじゃないだろうな

 

姉は母の鏡であることを象徴するエピソードとして二言目には

保険料の負担もあっただろうし

って書いてくるけど、

母が子供の名前で保険に入っていたのは子供に何かあったら助けになるようにではなく

自分が金儲けするためだったんだよ。

 

手術代も入院代も私が払って休んでる間は給料ももらえなくて

この振り込まれた保険料を母の口座に入金したら

私は借金しないと家賃払えないんですけど

それでも入金しないといけませんかって返したら

じゃあ入金しなくていいってなったけど、

本当に胸糞悪い話だった。

 

貧乏な家なら気持ちわからないこともない、

それでも○○さんの家は息子一人に一部屋与えられないで兄弟二人相部屋の

家賃の安い駅からバスじゃないと行けないへんぴな場所の古い団地なのに

○○さんの母親は○○さんの名前で18歳の時から入ってる保険の保険料を

くれなんて一ミリも思わないところはうちの親よりはマシなのかもね。

 

うちは母が月給だけで50万円、父も月給だけで40万円、

月給だけで夫婦で90万円、ボーナス入れれば一千万円どころじゃない高所得なのに

派遣社員でそんなに高い時給じゃないのなんとか自活してる娘から

そこまでむしりとろうとする親が他に居る?

 

私は27歳の時にオーストラリアから帰国して、彼氏と親への借金を一日でも早く返したくて

毎日夜10時、11時までの残業という仕事をわざわざ選んだ。

そのxxxホームが一番有名なxxx系列のリゾート会社の経理で、

前任も前々任も身体壊して辞めてるっていう仕事で私も元々身体弱いのに

無理したせいで腸炎になって、

その時検査した時点で入院してもおかしくないレベルだったっていうほど悪いのに

若くて将来がある人だからそれを伝えなかったという院長の女医のせいで

腸炎か、じゃあしばらく定時の6時に帰るか、それで治るだろっていう上司のせいで

無理して働いて抗生物質を痛み止め代わりに使って痛みを我慢しながら働いて

何か月も同じ抗生物質を使い続けたせいでその抗生剤効かなくなっちゃって

最後は辞めるから後任の人に仕事を引き継いでる最中に

38.5度の熱が出てその夜のうちに入院して、一週間点滴打ち続けて

その一週間入院してる間に会社に連絡したらもう退院しても仕事はしなくていいよ

荷物だけ取りに来てって言われて一週間入院してやっと37度まで下がったけど

前回の盲腸の時の保険料の件があまりに嫌な思い出過ぎて

母に言えば保険会社への請求書送ってくれて入院代の補てんに出来ることしってたけど

この入院のことは全く母に言ってないし、

その後、退院しても熱下がらないけど死なない限りは家賃が発生するので

入院する前の平熱が35.3度だった人間が毎日37度以上の熱を出してても

フラフラしながら電車通勤してフラフラしながら仕事して生活してた。

 

専門学校時代に私だけ仕送りなしで大変だねって話の時に

別に実家は貧乏な訳じゃないよ、

父は北海道大学卒の国家公務員で月給40万円、

母は証券会社の営業のトップで月給50万円

月給だけで夫婦合わせて90万円ある上にボーナス合わせたら

世帯年収1500万円とかあるんじゃない?

だけど私が一年目は新聞奨学生で休みがなくて一年間帰省できなかったから

二年生になって春休みに帰省して飛行機代3.万円ちょうだい、

夏休みに帰省して飛行機代3万円ちょうだい、

冬休みに帰省して飛行機代3万円ちょうだいって言ったら

「休みの度に帰って来なくていいよ、お金もったいない!」って

金の無駄だから帰って来るなって言われたって事実を伝えたら、

みんなは両親の年収を合計しても美穂の片方の親の年収より低いのに

自分達の生活のレベルを下げてでも毎月10万円仕送りしてくれてる

4,5か月に一度の長期休暇に久しぶりに会えるのが楽しみで

交通費をもったいない支出だなんて夢にも思ってないよ、

愛されてないんじゃない?

普通の親子じゃない、と言われていた。

 

詐欺会社に全財産奪われる前に両親と私と三人で車で墓参りに行った時に車の中で母が

パパからもらった婚約指輪のダイヤを立派な奴に取り換えていいかパパに聞いたらいいって言うから立派な奴にした。

あんなちっちゃなダイヤ着けてたらみっともないから、と言った後

”父に聞こえたかな?”という様に舌をペロッと出して見せた。

私はその母のキチガイな価値観が怖かった。

 

金や装飾品やステータスや世間体が何より大事で、

贈ってくれた人の気持ちとかの価値は一切理解できないって事もわかってたけど

ここまでかと思う。

 

私は夫がくれた婚約指輪が3番目に大事な宝物なのに

一番はもちろん夫、二番目はこの世に一組しかない結婚指輪、

三番目は婦人服のお店にすら入れない硬派な○○さんが自分一人で宝石店に行って

店員の人に着けてもらったりしながら吟味して心を込めて私の指に入るサイズに特注にして

サプライズでプレゼントしてくれたその気持ちが、値段なんか関係なく心から嬉しいから。

 

詐欺にあって全財産失って宝石もいくつか売ったみたいだけど

私に会いたいとか私のこと子供として愛してるとか言い始めたのは全部詐欺の後。

それまでは嫁いびり、遺産争い、仕事の愚痴を聞いてくれる間だけは利用価値あったけど

家を出て以降は金出してまで会いたくない程度の存在だったでしょ。

 

私は中学の時から母の母親代わりをしていて母を守らなくてはいけないと思っていたから

母に何かある度に守ってきたから、この手紙の二枚目もカウンセリングを受けてなかったら

私の事を考えると胃がキリキリ、胸はドキドキとか書かれたら

「お母さんごめんなさい」と大丈夫?と泣いて心配してくれると思って書いてるのがもろばれ。

そして本来の美穂に戻ってと、カウンセリングが悪の宗教の洗脳みたいに書いてくるの

もうだまされないのに、と冷めた気持ちで全然気持ちを乱されなかっただけでも

カウンセリングに通った価値はあったと思った。

 

だけど最初のカウンセラーは三流だったし、○○さんがそこはやめてくれと言われてやめていた。

 

だけど結婚して、○○さんの母親が「親は大事でしょ、キーッ」ってなる人だから

両家顔合わせしなきゃいけない、親に会わなきゃいけないと思ったら死ぬことしか考えられなくなるほど追いつめられて毎日どの方法で自殺するかばっかり考えるようになった。

そしたら○○さんが「俺が両家顔合わせやらなくていいようにしてやるから、死ぬな!」

と言ってくれてとりあえず自殺のことは切羽詰った勢いではなくなったけど

このままずっと暮らしても解決しない、何一つ良くならないし幸せと思えない、

だからもう一度今度はちゃんとしたところのカウンセリングを受けたいと訴えたら

私の気持ちを尊重してくれてカウンセリングを受けることを許可してくれた。

 

一人目のカウンセラーは、「世の母親という生き物はキチガイです。

これはカウンセリング界の常識ですよ」と言った。

二人目の心理療法士さんは「世の母親と言う生き物はキチガイです。

これは心理学界の常識ですよ。」と言った。

心理療法士さんは自分自身が幼い子供を持つ母親なのに。

 

そして二人が二人とも共通して言ったことは、

私が高校卒業と同時という、可能な限り一番早いタイミングでその家を出たのは正解だったということと、

最良の解決方法は二度と母親と接触しない事、接触する度に傷つけられますよということ。

 

新療法士さんのカウンセリングは月2回で2年位通って、いかに母が異常かの確認になって、

私が

親の異常さで人生をおかしくされた被害を細胞レベルで共有できる姉を救う手紙を姉に出してあげた方がいいですかねって心理療法士さんに聞いたら、1日も早くお姉さんを救ってあげて下さいって言われたから書いた手紙、その頃、毎日定時の6時に会社退勤して家の近所のスーパーで買い物して夕食作ったら、家のノートPCで夜11時までドイツ本社と電話会議のはしごみたいな多忙な時に、短大を2年で卒業するために土曜日に教科書読んで日曜日にレポートやって、夫にお前起きてる時間、仕事と勉強だけじゃないか!って責められた、そりゃ新婚半年ちょっとの頃だったから、そんな忙しい中、1日でも早く姉を救ってあげたくて睡眠時間削って出した手紙に対して、テレビ見たり今やらなくてもいい事しちゃってまだ返事書けてない、みたいな何通かのメールの後、1か月半後にやっと届いた手紙の内容は、

 

腐った物食べても腹壊さない生活とか、私の認識と違うね。

一年生の時だけ新聞奨学生で仕送りなしだったけど、一年で辞めて

仕送りなしの約束平気で破って二年生、三年生と2年間毎月10万円仕送りしてもらって生活して、卒業してからもちょっと金が足りなくなったらすぐ親からお金送ってもらってたって認識してるよ。

という旨の返事。

 

その中にあった母の、家と車のローンの支払いの中、30万円の収入の中から仕送り10万円捻出して、残りの10万円で家族四人やり繰りするのお母さんだって大変だったって文章がトドメだった。

 

自分の心を守る為なら喜んで無収入の専業主婦の私が美穂への仕送り10万円捻出して残りの10万円で家族四人生活やりくりするの大変だったという妄想で、

私の苦労も努力も名誉も全部忘れて現実ねじまげてそれを私に平気で伝えてくるのは名誉棄損にあたると思うのですが。

 

とりあえず次に、姉を一日も早く救いたくて睡眠時間削って出した手紙を投稿します。

私からの返事3通目

返事遅くなってごめんね。

 

私と姉ちゃんの違いは、諦めるか実力行使をするかの違いだと思う。

姉ちゃんは何かにつけて親に反対されたらその時点で諦めたけど私は説得した。

例えば、高校の時にバイトを始めるのも反対されたけど説得した。

初めてのバイト代でウォークマンを買うのを楽しみにしてて、買って聞きながら高校から帰ってきて家に入ってイヤホン外したら母が「あら、ウォークマン買ったの?姉に駄目って言ったのに。」と言われて、「は?何で駄目なの?」「耳悪くなるから」「ウォークマンで耳悪くなるわけないしょ。悪くなるんだったら何でみんな使ってるのさ」という感じで、私はウォークマンを悪いものと思う人間がこの世に存在するという発想すら出来なかったから、バイト代でウォークマン買うけどいい?って聞くことすらしなかった。

姉ちゃんは何で親に聞いたかっていうと、姉ちゃんはバイトしてなかったからお小遣いと貯金から買わなきゃいけなかったからで、私は自分で稼いだ金で何を買おうが自由と思ってたし、さすがに親に相談しなきゃいけないような悪いかもしれない要素があるものだったら相談したかもしれないけど悪い要素微塵もないものだったからね。

 

原付の免許は自分のバイト代でとっても親に反対されると思ったから、体育祭か何かの振り替え休日に免許試験受けに行って、開校記念日に免許証を免許試験場まで取りに行った。

郵送されると親にばれるから・・・でも、新聞奨学生で新聞配達に原付の免許が即活かせたから、母は免許とっておいて良かったねと言ってたけど。

 

家を出る時も、家を出たら勘当するって言われたけど、勘当されてもいいから家を出るって言った。

おばあちゃんと同居が始まった時、私は思春期の一番多感な時で、嫁いびりや遺産争い、大きい学校の生徒達のレベルの低さと面白くなさで真っ暗闇を生きてる気持ちだった。

特に私が母をかばうとばあちゃんから母へのいじめが5倍くらいにひどくなることがわかってからは、怒りはまず自分の中にしまって表に出さないという特訓を高三まで5年近く強いられたから、専門学校に入ってからも彼と同棲しなかったらずっと人前で怒りを表に出すことも涙を流すことも出来ないまま生きてたかもしれない。

 

毎晩毎晩、ばあちゃんの嫁いびりがつらくて部屋でこっそり泣いてた。母が私が泣いてることを知ったらもっと辛いだろうと思いやりの気持ちから決して母の前では泣かず、母の職場の愚痴やいじめの愚痴、遺産争いの愚痴の受け皿となって母を支えてた。

でも、寝る時になってもつらいことで頭がいっぱいで、考えて考えて泣いて泣いて眠れない体質になってそれからずっと不眠症。今でも睡眠薬飲まないと寝付けない。

だから、飢え死にしてもこの家にいるよりはマシって思ったから、勘当されても家を出ると言ったの。

 

でも、さすがに親子の縁が切れるのはお互い嫌だったから、仕送りするお金なんてないよ!という言葉尻をとらえて「仕送りなしでいいから家を出る」と言ったらじゃあ勘当しないけど出て行っていいよとなったの。

 

私が母に気を遣って母の前でつらい素振りをみせなかったから、母は私が飢え死にの方がマシと思うほどあの家庭の事情に痛めつけられてるのがわからなかったみたいで、一年で帰ってくると思ったと言ってた。死んでも帰るわけないのに。

 

専門学校を卒業した後、働き始めた会社が給料の支払い能力がなくなって新聞配達と集金と喫茶店のウェイトレスとデニーズの皿洗いを同時にやってて、月に一日くらいしか完全な休みがないほど働いても時給730円とかだから全然お金なくて、毎月6万円の家賃と3万円近い光熱費を払って暮らしてたら貯金をするどころか食べ物を買うお金すらない状態だったけど、フリーターのままじゃいけないと思って、就職活動をするから20万円貸してとお願いしたら「一人でやっていけないなら帰って来い」と言われて以降、お金を貸してとお願いするのも諦めた。

 

納豆の匂いがして糸引いてる、腐ってる食べ物を腐ってるとわかってても飢えをしのぐために食べてもお腹壊しもしなかった。免疫がついてた。

 

北海道拓殖銀行が潰れて北海道に仕事がなくなってからは帰ってこいって言わなくなったけど、実家に居る時に友達の家に赤ちゃん見にいくって言ったら「そんな、生まれたばっかりの赤ちゃんなんて猿みたいで可愛くないよ!そんなの見に行く必要ないよ!」とか、ことごとく家に縛り付けたがるくせして、私が家に居ても構ってくれることはなくていっつもテレビみてるかパチンコ行くかだった。

私はテレビが嫌いだから、無理して親に付き合ってテレビ見るとうつ病がひどくなるから部屋にこもると、だったら友達の家に遊びに行く方が有意義じゃないかと思うけど、母は私が家に居ないのは気に食わなくて家にしばりつけておけるなら一切関わらなくてもどうでもいいんだよ。

 

私が18歳の頃はNTTの固定電話の権利は7万5千円して、私は月9万円ちょっとの給料から、前借りして、引越ししてすぐに電話を引いた。

毎月2万5千円づつお店にお金返して、完全に私のものなのに、20歳以下は権利を持つ資格がないと、父の名義にさせられた。

私の方がよっぽどお金も自由になる時間もないのに、私から電話しても母から電話してきても、用件が終わったら必ず母から「もう切るよ!お金もったいない」と言って電話を切られた。

 

一年目に新聞奨学生に複数日程の休みがなかったから一年丸々帰省できなかったから、2年生の時に春休み、夏休み、冬休みと帰省したら「休みの度に帰ってこなくていいよ!お金もったいない」とこれ以上の金をドブに捨てる様な真似は他に考えられないくらいの吐き捨て方で言われた。

 

スカイメイトで往復3万円で帰省できたのは21歳までだったのに、4、5ヶ月に一度3万円払ってまで私に会いたくなかったらしい。姉ちゃんの食費や光熱費はそれ以上かかってただろうけど、それは気にならないけど家を出たやつに会うのには3万円はもったいない費用らしい。友達が、仙台の実家に帰って次の日東京で用事があるから帰らなきゃいけないって言ったら、じゃあその用事終わったらまた戻っておいでって新幹線代出してくれたっていう話を聞いて、うちは休みの度に帰ってこなくていいお金もったいないって言われたって言ったら「愛されてないんじゃないの?」と言われた。

 

卒業したら往復5万円じゃきかなくなったし親に会いたい願望もないし、友達も居なくなったから3年に一度くらいしか帰省しなくなった。

学生じゃなくなったから自分のお金で帰省したからもうお金もったいないと言われずに済んだけど、女の子なのに連絡がまめじゃないと怒られた。

私は友達にも年に一度も連絡しない人間なんだけどね。

 

姉ちゃんが仕事しないで遊んでる時期に帰省した時に、無職の間は月3万円家に入れなくてもいいって言ってるのに入れるんだよ、あの子も律儀だね、と言っててびっくりした。

私は家賃だけでその2倍以上、光熱費通信費も入れれば3倍くらい生きてるだけでかかるのに、無職の間は家賃払わなくていいですよなんて大家はいないのに。

 

それだけでもびっくりしたのに、母方のばあちゃん亡くなったときに座布団を贈るお金を私と姉ちゃんで出すって決まって、母が美穂は次帰省した時でいいよと言ったら姉ちゃんが「美穂ばっかりずるい」って怒ってるから払ってと言われた。

私ばっかりずるいって姉ちゃんいつも言うけどずるいか?って疑問に思った。

私は生活に追われて貯金も出来ないからうつ病がひどくて死ぬことしか考えられない時でも働かないという選択肢は選べなかったから。

まあ、あの実家を我慢するよりは働く方がマシなので、実家から逃げて自由になった私はずるいのかもなと思った。

だから私は親を甘いと思ったことは基本的にない。むしろ変な方向に厳しかった。

 

転校して大きい学校に通って、私立しか行けないような馬鹿が沢山いる陰湿で先生達もクズな中学に転校して、久しぶりに前の学校の同級生と会ってボーリングに行けた時に、門限が7時だから帰るね、って急いで帰った時、二人ともしらけきってた。

だから私は親は無駄に厳しかったという印象を持ってる。

 

母は二人居る娘が二人とも、8歳とかで「一生結婚しない。子供も生まない」って言い出すほど結婚は人生の墓場な家庭に育てておきながら、私が20代の時は帰省する度に人間ならなんでもいいから結婚しろ、孫の顔見せろと言って来た。

私はほとんどの元彼と性犯罪のトラウマに因るセックス嫌悪、セックス恐怖症が原因で別れてたけど、母に言ったら気も触れんばかりに自分を責めて自殺してしまうかもしれないと思ったから言わないであげた。それなのに30歳になって告げた時には「ひどいことするね」とだけ言ってぷいと居なくなり、それから3、4年後にその話になった時に「私は察したよ、お前は何も言わなかったけど」と胸を張って反らして自慢話みたいに言われた。

4歳5歳の美穂が性犯罪被害にあうことを恥ずかしいことと認識して母親にすら隠したのに私はスーパーお母さんだから察したよ、そんじょそこらの普通の母親なら気付かなかっただろうけどね、という自慢話になっちゃうんだよ、あの人にかかると。

私が、4歳や5歳の子供が性犯罪被害にあったことを恥ずかしいと認識できるわけないでしょ、私は必死で訴えたよ、泣いて泣いて何言ってるかわからなかったかもしれないけど、母親に言わないわけないしょ、といさめたら「そうかい」と言ってたけど、当時性の知識がなかった小学校低学年の姉が、後々性の知識を得た時にあの時美穂があったのは性犯罪被害かもしれないとわかるということは私の訴えは姉ちゃんにすらわかるものだったってことでしょ、それを申し訳なく思うどころか武勇伝にするような精神異常者だとわかってたら20代の時に気を遣わずに言えばよかった、思いやりってこの人に関してはことごとく意味ないなと思った。

 

私がカウンセリングに通い始めた時に「なんで警察呼んでくれなかったの」とかっていう一連のメールの最後に「美穂が悪いなんて思ってないよ。美穂の人生を台無しにしたかもね、ごめんね」と書いてあって、私はお母さんごめんなさいと号泣した。

でもカウンセラーはそれはお母さんは娘がごめんなさいと号泣するとわかってわざとやってるよと言われた。それは本当かどうかかわからないけど、その後で「過去のことを言われてもどうしてやることも出来ないね、未来のことなら気をつけることも出来るけど」と逆切れし、「だから30歳から結婚しろって言わなくなってやったのに、この恩知らずが」みたいな感じだったし、とどめに「美穂といつまでもこんな感じでいるのいやだ。早く機嫌直して遊びにおいで」というメールで、なんか返信しても返信しても意味わかんないこと言って責めてくる、面倒臭いからごめんねと言ってやり取り終わらせとけって感じで謝ったけど、何がどう悪かったか1mmもわかってないんだな、取るに足らない些細なことでへそまげていつまでも大人気なく怒ってるっていう認識でしかないんだな、と思ったから、二度と顔も見たくないほど嫌いになったし謝られた記憶がないといったのもそういうこと。

 

さすがに勝手に婚姻届を提出してしまうのはあまりにもだなと思ったから物凄い頑張って関わりを再開したのに、姉経由で付き合ってる人が居るって知ってただけで事情を何にも知らないのに、普通の良好な関係の何でも相談や連絡や報告のある母と娘みたいに「美穂結婚決まって今度挨拶に来るさ」みたいな言い方をしたから親戚がご祝儀持ってきたんでしょ。ちゃんと姉ちゃん経由でしか話聞いてないからどういう状況かわからないって言うか、それよりはっきりするまで誰にも何にも言わなきゃいいのにいかにも全て状況把握して決まったことみたいにいうから私と○○さんがひどい目にあったんだよ。○○家に反対されたら結婚の話なくなる時にお祝いされて何て言えばいいのさ。

 

姉ちゃんは母をかばってみっちゃん達が気が早いって言ったけど、母の話し方が実状に即したものだったらああはなってなかったと思うし、おばさんが来た時に私のこと褒めてたっていうから何をって聞いたら、ママがいっぱい自慢したからかな、計画性があって努力家だってって、いかにも育て方が良かったみたいな勢い。私が短大の資格を取ろうとし始めたのは○○さんのためだし、そもそも私が現役で大学に合格しなかったのは、ベビーブームの頂点で割を食ったのももちろんあるけど、それより何より受験勉強を全然しなかったからであって、そのツケを今払ってるだけだし、キャリアアップの為に留学や英語や簿記を頑張ったのだって実家に帰らないためには一生人に頼らず生きていくすべを身につけなきゃいけない一心であって、育て方が良かったからじゃない。

 

強いて言えば、高校の時に「お母さん、お願いだから離婚して。どんなにまずしくてもいい。姉ちゃんと三人で暮らそう?私も働くし」とお願いした時に「私一人で二人も子供育てられるわけないしょ」と私の結婚しているという社会的ステータスを奪い取ろうとするこの逆賊が!みたいな勢いで睨んで言われて、経済的な理由で離婚出来ない身には絶対ならないと思ったのが結果的に私の育て方が良かったになるのかもしれないけど、そもそも結婚する気なかったから自分で自分を一生養える力をつけるっていうのは幸せな家庭に育って結婚を夢見る普通の女の子達はいざとなったら男に食べさせてもらおうと思えるんだろうからそこが決定的に違うんだろうけど。

 

そもそも○○さんと結婚することになった決定打は○○さんの首ヘルニアの手術で、公然と手術入院の世話を出来る立場になるために結婚が必要だったんだけど、それをいうと親も心配するだろうしと思ってどっちの親にも黙ってたけど、短大の資格を取ろうと思ったのも、今の会社に勤めてる限りは手術が失敗して障害が残って○○さんが今の会社に戻れなくなっても養っていけるだけの経済力あるけど、外資系企業は「日本は採算取れないな」と思ったらあっさり日本から撤退するから職を失うことになる。

そしたらどれだけ実績あっても40歳過ぎで最終学歴高卒じゃレベルの高い仕事に応募する資格もないよ、ということで始めたもので本当に○○さんとの生活ありきで私の向上心云々ではない。

実際、結婚と引越し準備と手術入院の世話と短大の活動の両立は半端なくきついよ。

でも、母の嫌がらせがなければここまで大変じゃなかったのにと恨めしく思う。

 

○○さんは手術が失敗して死ぬことも障害が残ることも怖がってたし、私も新婚3ヶ月で未亡人とか、残りの人生仕事と介護になったらなんて言っていいかわからないという理由で11月まで友達にも結婚を知らせるメールが出来なかったのに、30年に一度も会わない、もうこの先の人生で会うかどうかもわからない全く関係ない、しかも私が極貧生活を送る方がマシと思うほど遺産争いで思春期に苦しめて私の人生を滅茶苦茶にした仇の親戚に勝手に言いふらして勝手にご祝儀受け取って、私の足の付け根のリンパはもうストレスと過労で破裂しそうな痛みのまま何ヶ月も過ごしたよ。

 

○○さんは20代の頃から毎週スノーボードをやりに群馬まで言って、車中泊するほど夢中でハーフパイプやらトリックやらでジャンプしまくって、そんなジャンプからの着地で首に負担かかり続けて、3年くらい前から首の後ろの痛みと、左手が痺れて震えてグーパーも出来ない、力が入らないでペットボトルの蓋すら開けられなくて私に開けてってお願いする時もあるほどポンコツだった。

手術が失敗したら親や弟夫婦に世話になると思うと腹を決められないでいたけど、何かあったら私が一生面倒みるから手術受けなよってことで結婚と手術が決まった。

 

○○さんは部屋の引き払いにてこずって新居と前の部屋の家賃2ヶ月分丸々支払った挙げ句、部屋の契約切れる日までに処分しきれなかった不要品の処分代金14万円もかかった。

新居の為の買い物や配達や配置だけでも土日祝日の朝から晩まで費やして、結婚と手術があるから昇進させないでくれってお願いしたのに新しい環境に異動させられて、異動したばかりで有休取りづらいって言って休みも取れない中、全く予想してない普段なんの付き合いもない親戚のお祝いのお返しのためにインターネットで朝3時まで調べ物して二人とも疲れ切りながら土曜日に池袋の百貨店や大型商業施設何軒も見て回って何時間も費やしてやっとお返し送付の手配して、帰宅しても手配すること、調べ物すること山積みで、○○さんは引っ越しや不要品処理の時間もなくなるわ、私に優先順位の立て方が有り得ないと怒られるわで、本当にあれさえなければもっとイライラしないで接してあげられただろうに、処分費用はもっとずっと少なくて済んだろうに、あそこまで疲れ果てなくて済んだろうに、もし手術が失敗したら残りわずかとなる二人の時間をもっと二人の為に割けたろうにと、恨みの気持ちしかないのに、姉ちゃんに免じて一回目はなんとか許したのに、あれだけきつく二人の引っ越しが終わるまでもう絶対誰にも言わないでと責めたのに、全く聞き入れず今度は母方の親戚に言いふらして勝手にご祝儀受け取って、自殺しか考えられないほど追い詰めてくる人はなんなの?

 

何とか家具の配置をとりあえずの急場しのぎなりに終えたら10月5日は○○さんの国家試験だから9月は二人とも勉強で、唯一息抜きに9月半ばの三連休の最初の二日は静岡の○○家の墓参りして、15日は休みだから14日の夜遅く帰って15日はゆっくりするという予定だったのに、中国出張の為に朝6時に起きなきゃいけなくなって、だから金曜日に洗濯3回転して干して、中国出張のために近所の3階建てのスーパーで買ったズボンのうちの一つが、一回もはく前から股のところの糸がビロビロ出てる不良品だから金曜日しか交換にいける日がないから、金曜日仕事終わって家帰って軽くご飯食べて洗濯回してる間にスーパー行ってズボン交換して戻ったら干して、それ終わったら洗濯2回転目を回してる間に9月13日&14日の旅行の準備と15日から一週間の中国出張の準備して、とやること山積みで睡眠時間も十分に取れないかもと思ってるところに、○○さんのお母さんから手紙が入っていて、札幌地方が大雨で大変みたいですけど大丈夫ですかみたいな内容で、初めて私宛でもらった手紙だったから、今日返事書いて投函しないと次返事書いて投函できるチャンスは中国出張から帰ってくる一週間以上先になってしまって失礼だからと、洗濯回しながら返事書いたけど、義理の母に出す初めての手紙だから慎重に言葉選んで字も丁寧に書くから時間掛かって、結局一回目の洗濯が終わってもまだ書き終わってなくて、やっと書き終わって少し皺になりかけてる洗濯物干して、スーパーに交換に行くズボン持って途中のコンビニで切手買ったけどポストは設置してませんて言われて投函できなくて、ズボン返品したはいいけど私がはけるサイズのズボンを選ぶのはそんな短時間ではすまないので結構時間かかって、でも洗濯して外に干して日に焼けて変色して伸びきったダルンダルンのズボンしか持ってないから中国出張の前にまともなズボンを買わなきゃいけないので切羽詰ってて、やっとの思いで代わりのズボン買って○○駅の辺りを郵便ポスト探してさまよい歩いても全然見つからなくて、結局手紙を投函するために○○○○駅まで行って駅の入口の脇にあるポストに投函した。

○○さんのお母さんが手紙送ってこなかったら洗濯とズボン交換しても○○さんが酩酊して帰ってくる時間までには眠りについてて次の日の旅行に午前中に出発できてたのに、その手紙のせいで○○さんが帰ってきた時間にまだ就寝できてなくて、面倒臭い酔っ払いの相手するために深夜2時近くまで寝ることが出来なかった。

だから次の日の旅行の出発が午後になって、墓参りは夜になって、ホテル着いたのは深夜になって、次の日帰宅したのは深夜1時過ぎてた。

そこからお風呂入って出張の準備して、寝たのは2時半過ぎで起きたのが6時前後だから3時間ちょっとしか寝てなくてフラフラだった。

 

空港まではスーツケースにノートパソコン入ったバッグに他の荷物もあって押さえながら電車乗ってたから寝るどころじゃないし、飛行機が離陸して15分くらいはうとうとしたかもしれないけど、基本的に私は睡眠薬なしでは寝られない人だから、香港の空港着いても頭が朦朧としてて、シンセンに行くフェリーが台風の影響で1時間近く遅れるし、フェリー降りたらCustom通る前に羽田で預けたスーツケース受け取らなきゃいけないってシンセンのオフィスの人からもらったインストラクションに書いてたのにCustom通ってからそのインストラクション読んで焦って「まだ荷物取ってないから戻っていいですか?」って聞いても一度Custom通ったらもう戻ることは出来ない、ここで待てと犬の様にシッシッと追い払われて、何度も別の人に事情を説明しても犬以下の様な扱いを受けて、やっとのことで受取人のいなかった荷物を乗せたカートを押してきた階級の低そうな男に私のスーツケースを蹴って渡されて、なんとか荷物を取り返せたけどあわや失うところだった。私の性格からしてそこまで睡眠不足じゃなければ確実にCustomより前にインストラクション読み返してたからそんな目に会ってなかったと思うから、義母の手紙のせいでひどい目にあったと思った。フェリー港のタクシー乗り場の行列は長いのにタクシーが一台ずつしか来なくて、家出てからホテルに着くまで11時間近く掛かってもう倒れそうだった。

 

札幌の大雨なんて、けが人も出てなければ行方不明者もいない程度の自然災害なのに、会ったこともない義理の家族を心配する姿勢を見せたい自己満足のエゴのために私がスーツケース失うか、下手したら中国で殺されることだってあったのに、本当に迷惑で迷惑でしょうもないことで働いてる人間に迷惑かけるなよと心底うんざりした。

 

9月15日と20日は日本はお休みだったけど、去年も○○さんは同じ試験を受けるのに勉強を始めるのが遅くて3週間くらい前からやっと着手して落ちたし、それも私が見てる間はやるけどちょっと目を離したり外出するとやらなかったから、今年も私が出張で留守してる間やってくれないんじゃないかと不安だった。

20日は午前中にホテルをチェックアウトしたのに板橋区の自宅に着いたのは深夜0時過ぎ、行きも帰りも片道11時間かかって疲れ果てた。

 

次の日は昼の3時くらいまで寝させてもらったけど、基本的に10月5日の試験までは○○さんの受験支援体制でいなきゃいけないから家事はやったけど、私が洗濯2回転したことに対して○○さんが「俺がお前の留守中洗濯しておいたから2回転で済んだんだよ。やってなかったら5回転だよ」と言われて、専業主婦で食わせてもらってる女が友達と旅行で留守した場合であってもいい大人なら自分の着た物はいた物くらい自分で洗えよと思うのに、私は仕事で行きたくない中国で英語もほとんど通じなくて辛い一週間を過ごしてたのに、のうのうと毎日飲み歩いてた○○さんよりよっぽど大変な日々を過ごして家計に貢献してるのに、なんで洗濯はお前の仕事なのに俺がやってやったみたいになるの?7月までは20年間自分で着た物はいた物を自分で洗濯するのが当然だったのになんで結婚した途端に私の仕事になるの、共働きで私の方がひどい目にあってる時に?と、せっかくこの人となら人生の墓場じゃない結婚が出来ると思ってた気持ちをことごとく裏切られた気持ちになった。

 

土曜日は深夜0時過ぎてからの帰宅だったし日曜日だけじゃ疲れ取れなくて月曜日の午後を祝日と土曜日に中国出張に費やした代休の一部として使ったけど、結局お風呂上がってから18時まで家で仕事したから全然休めなかったし風呂上りに窓開けっ放しで仕事したから風邪引いてしまって、その後一週間熱が下がらなかった。

それでも私の方が会社から帰宅するの早いから毎晩夕ご飯作って週末は洗濯や最低限の片付けと短大の勉強を誰に言われるわけでもないのに自分で目標設定してコツコツ進めてるのに、○○さんは次の週が試験だって言うのに現実逃避でハンバーグ作ったりYou Tubeを徹夜で朝9時までみたり、気が狂ったことして結局180問中117問正解で合格のところ107問しか正解しなくて不合格さ。あと10問で合格だもん、ちゃんとやってれば。

朝9時までYou Tube見ないでハンバーグ作るの私にやらせてたら合格してたのに、せっかくあんなに勉強したのにまた来年やり直しだよと言ったら、あれだけやれば受かると思ったとか言って懲りてなかった。

 

10月15日から手術入院で○○さんはこれで死ぬかもと思ってたから10月11日、12日、13日の三連休は秩父に旅行に行って私は14日から17日まで入院準備と術後の世話のために有休を取った。

秩父の宿泊施設でバーベキューしてる時も○○さんが「もうこれで死んでも悔いはないよ」とか言いながら、二人とも恐怖でいっぱいだった。

秩父神社天照大神のお札を買い直して帰宅して、14日は氏神様の神社にお参りしてお札を買って、入院のための書類や身の回りの物を準備して、最後に断髪式をした。

私に切って欲しいというからスキカルみたいのを買って、まず髪を切ってから後頭部を剃って髭剃りでツルツルにした。手術のためにそうしなくてはいけないという指示だったから。

 

15日に一緒に入院手続きしていろんな人からいろんな説明を受けて、執刀医からこの手術をしないと将来かなり高い確率で左脚も麻痺して車椅子の生活になるから手術は一日でも早い方がいいと言われつつも、どんな手術にもリスクはあるということを知っていて欲しいといろんな可能性の話もされた。

 

首の後ろの骨が頚椎の神経を圧迫して痺れや震えが生じているので、骨から筋肉を剥がして後ろの骨を金属で広げて神経の圧迫をやめる手術なので、脊髄に触ってはがすから最悪障害に結びつくこともあるし、死ぬこともあると。でももうここまできてやめるという選択肢はないから次の朝手術を控えて私は面会時間終了の8時に「明日手術の時間までに来るからね」と病院を後にしたけど、結局手術の時間より早く看護師さんが手術室に連れていってしまってたので手術前に会うことはできなかったけど、手術が終わって酸素マスクをされた常態で移動ベッドで帰ってきた○○さんを見て涙があふれたけど、手術した場所に血液がたまらないように管を挿して血液を逃がすようになってたその血をみて私は倒れそうになってしまった。

その血液を逃がすドレインという管を術後2日後に抜くけど、その時に血がとまらなかったらひとたまりもない、一巻の終わりですと医者に脅されて私はめちゃめちゃ不安にさせられてた。

でもとりあえず手術は成功して、○○さんも思ったほど痛みに七転八倒しないし、手術の次の日に立って歩けるほど経過も良好で、手術の二日後にドレインを抜いても血液がたまることもなく、若いから回復が早くて元々2週間の入院の予定が25日に退院できることになった。

○○さんが一日も欠かさずお見舞いに来て欲しいって言うから、18日も夜8時の面会時間ぎりぎりまで病院に居て家に帰ってから復習して19日の短大の試験を終えて一旦帰宅して洗濯物干してから面会行って、その次の週は仕事に復帰してたから夜7時から8時の一時間しか会えなかったけど、二人にとってとても大事な時間だった。

 

24日までに提出してレポート合格した科目しか12月7日の試験を受けられないから入院の世話や試験までこなしながら2科目レポート提出して、10月の試験も2科目とも合格してこの時出したレポートも2科目とも合格して、難易度が違うとはいえ、やることやってても短大の単位取得のために努力を続けられる妻を持ってる人がたった一ヶ月だけ、一つの試験さえ受かればもう残りの人生で試験を受ける必要もないのに朝までYou Tubeみて不合格する大人って何?と思ったよ。

 

○○さんは退院してきたけど、首の後ろ15センチくらいの手術あとは生々しいし、重い物とか持たせたらプチって傷口開いて死んじゃいそうだからジャンプとヤングマガジン程度の重さの物さえ持たせないで私が持ってたのに、母から送ってきたイクラとかラム肉とかの重い荷物を私がお風呂に入ってる時に配達の人が来ちゃったから○○さんが受け取ったのはもう恐怖で凍りついたよ。

 

姉ちゃんのおかげで母から連絡なかったのに、○○さんが退院してくる前の日にメールあって、イクラいくらでも買えました。○○さんの好物とのこと沢山作りました、何時送ったらいいか良いか教えてくださいというメールが来て、「毎日猛反省しています」という文章の割りに○○さんってなんだよ、と思ったから、「私の夫は○○ですが、○○って誰ですか?イクラの醤油漬けを作ろうと思って昨日レシピを会社でプリントアウトしてきたけど、母のレシピを教えてください、って返信したら、レシピっていうほど決まった分量でないって言ってきたからクックパッドの通りに作ったら普通に母と変わらないくらい美味しかった。

土曜日に○○さんが退院してきて美穂のイクラ美味しいなって言って、やっと二人きりになれてゆっくりしてたら、母から月曜日に送りますって強行のメール来たから「わかりました、いただきます」と返事したけど、私が風呂入るのも悪いけど母が今重い物持ったら死んじゃうかもしれない○○さんに送ってくれとも頼んでない重い荷物を送りつけてきて○○さんが死んだら私母のこと呪い殺してたかもしれないっていうほど迷惑に思った。

○○さんはお前の親の○○さん殺害計画だろって言ってた。

 

金曜日に○○さんの母親からも「経過が良くて安心しました。11月1日か2日にでも元気な二人に会いに行きたいけどどうですか?」みたいなメールがきて、「仕事に看病大変ですね、休める時に休んでくださいって言いながら、次の週末に遊びに来るって言われたら今週末土曜も日曜も平日仕事終わった後掃除しなきゃいけないのにいつ休めって言うの?私が過労死したらいいと思ってるんだ!と○○さんに愚痴って病院で泣いてしまったくらいに追い詰められた。

 

母親って生き物は仕事辞めたら暇で暇で寂しくって子供にかまって欲しくてたまらなくて子供にとっては迷惑なことを親切のつもりでやるから悪意よりもたちが悪く、手を変え品を変え死力を尽くして殺そうとしてくる死ぬまで関わりたくない存在だと結婚の情報を親に伝えて関わりを再開してから常に思うよ。

 

○○さん本人には黙って18歳から加入してた都民共済の保険金も今回の手術入院で下りるからと送ってきた保険金請求書に同封されてた手紙にも、お祝いもする前にお見舞いなんて、とか書いてあって、手術のために結婚したんだから私達二人の間では何も順番がおかしいことなんてないのに面倒臭いなあと思うし、何の力にもなれなくてみたいなことを書かれても、貴方達母親が出来る子供にとってもっともありがたい行いは、出来るだけ私達に関わらないで放っておいてくれることだよと思う。

 

姉ちゃんは鬼のような親でもないんだからとかばうけど、悪意なく子供の育て方を間違うことや迷惑なことしかしない方が本人達の自覚がない分もっとたちが悪いと思う。

 

私がオーストラリアから帰国してすぐに受けたTOEICは目標点ちょうどの730点だった。

そこから2年間、英会話の学校に入り浸って890点取れた。

嬉しくて、電話が嫌いだから3年に一度も電話しない私が母に電話した。

「お母さん、聞いて。オーストラリアから帰ってきた時TOEIC730点だったのに、今回890点取ったよ!」

そしたら母は即座に、「お母さんの友達で990点取った人居るわ。それってすごいの?」

「・・・990点って言ったら満点だよ」

母「え?1000点じゃないの?おかしいね」

「TOEICは偏差値だから990点が満点だよ。だからお母さんの友達満点だよ」

母「そうかい。英語の先生だけど満点とはすごいね」

 

・・・二度と母に電話したくないよね。

730点より890点の方が、890点より990点の方が高いってことは小学生でもわかるでしょ。

いくらTOEICの満点が何点かしらなくても、その友達のことってこのタイミングで言うこと?

 

専門学校の彼が居なくなった時に、自殺したらこれから先の母の人生に責任取れないって思いやりで自殺を踏みとどまったのに母に「あんな可愛い子がお前みたいのと付き合ってるのが不思議だったんだ」って言われたってことを母に伝えた時に「そんなこと、たとえ思ってたとしても普通言うかい?」と言われたそうだけど、普通言うかい?ってことを言うのが私達の母って女じゃないの?

 

母が言ってないことを私が一人で勝手に妄想ででっち上げて、その妄想で20年以上も恨み続けてるという可能性と、母が人を傷つけるようなことを平気で言って、本人は綺麗さっぱり忘れてるという可能性と、姉ちゃんだったらどっちが真実かわかるよね?

 

私と○○さんにしてみれば、手術がどうなるかが結婚前から一番大事で、最期の時間となったとしたならそれこそ二人で幸せな時間を過ごしたいと思ってるのに、実母と義母がことごとく邪魔してきて、親という存在とどうにかして縁を切りたいと思ったよ。

 

手術の話になる度に○○さんが私に、手術が失敗して俺が死んでも自殺するなよ、お前が自殺するとあの世で会えないから、と繰り返し言われたけど、私は○○さんが死んだら迷いなく自殺すると思うよ。

 

残された人のこと考えると、っていう思いやりでとどまってたけど、思いやりがいかに何の意味もないことかを母がことごとく証明してくれたからね。

あの世のことなんてどうでもいい、○○さんが居なくなったら生きててもしょうがないと思うから。

 

○○さんと私の生活は、手術入院で絆が深まったこともあって幸せそのものです。

料理も、麻婆豆腐の素とかじゃなくて味噌や醤油や豆板醤から作ったりしてて、それをいつも美味しいと言ってくれているので楽しく続けています。

○○さんが退院して私が仕事の時はご馳走作って待っててくれたしね。

 

11月22日、29日、30日と短大のスクーリングで9時から18時までびっちり勉強なので疲れそう。12月7日は試験だからその前の日は復習だし、12月12日、13日、14日はまた違う教科の短大のスクーリングだから気持ちに余裕がないよ。

年末年始は決算だから一年で一番仕事が忙しいしね。

 

○○さんのお母さんが私の家族と顔合わせをセッティングしろってうるさいけど、手術後半年は突発的な何かが起こる可能性があると言われたから、すくなくとも2月までは放っておいて欲しいよ。

来年になったら親に会うことが耐えられるようになってるかは今の時点ではわからないです。

返事遅くなってごめんね、そういう事情でした。

 

姉ちゃんも頑張ってね。

姉からの手紙(事故について)

事故に遭ったと知って「死ななくて良かった」とメールしたらこの手紙がきたけど、

本当に色々と有り得ないこと言ってくるので『なんなのこの人』って

この頃から思い始めています。

 

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「私の苦手なキツイ感じの人」って何?

北海道拓殖銀行が倒産した25年位前に北海道の景気がめちゃくちゃになって

札幌で働いてた人は失業して室蘭やら埼玉やらに出稼ぎに出なくてはいけなくなって

それから現在まで一度も景気回復しないから選ばなくても仕事がないのに

車のおかげでやっと就職決まった所だったのに、

訳のわからんおばはんが居眠り運転で対向車線で正面衝突してきて

娘のやっと決まった就職は駄目になるわ

車に同乗してたってことは家族の一員と思ってた犬は脱臼したら

周りの人に「あの人の怒った所見たことない」って評判の温厚な人だって

そりゃキツイ感じになるだろうとか考えないのかな。

私の苦手なキツイ感じの人で怖い思いした、私被害者私可哀相って

なんでも被害者意識になるにしても限度を越えてると思う。

 

自分の責任で若い娘さんに骨折はさせるわ就職は駄目にさせるわって、

私だったら泣いて泣いて一生かけてどう償っていこうってぐちゃぐちゃになるって言ったら

夫は「私だったら」じゃなくてお前の姉ちゃんと親以外誰だってそう思うって言ってて

本当にその通りだと思うし、その状況で謝罪の手紙が事務的になるって人間と思えない。

その状況で母が慰謝料つりあげようとしてウソばっかりだの裁判にまでなって酷い目に遭ったねなんて言った日には私なら母に激怒して縁切ってる。

 

40歳になって玉留めも出来ないのも不器用なせい?

なんだそれ、誰だって最初の何回かは上手く出来ないのに回数こなして慣れただけだよ。

何か知らないけど自分以外の人は生まれつき器用で最初から出来るのに私は不器用だから出来ないみたいな言い方ばっかり。

料理にしたって生活の知恵にしたって、30代後半まで親に面倒見てもらってここ2,3年しかやってないから出来ないだけなのに、みんな自立して十何年か何十年かやってるから出来るようになってるのに全部私だけ不器用なせいで出来ないみたいに思ってる。

努力した回数や量や年数が同じ人としか比較するのはおこがましいってものだよ。

 

仕事に責任取って辞めなきゃいけないことも親がひっぱたいてでも教えてくれるべきなのに

教えてくれなかったから私わからなかった、私被害者、私可哀相って、

私は高校1年からバイト初めて親に叩かれなくても責任をきちんと果たして辞めなきゃいけないことくらい自分で理解したよ。そんなの親に教えてもらう人なんて居ないよ。

 

私のこと生まれつき英語がペラペラで生まれつき仕事が出来て生まれつき何でも出来ると思ってる。

私だって平均より不器用だし天然ボケの度合いがひどいし、

仕事は最初できないけど何度もやったり何年もやったり何社もやったり、

教えてもらわなくても自発的に考えて働いてスキルと実績を築いてきた。

私は意志が強くて一度やると決めたことはすごい努力して完遂するから年々出来ることが増えてるだけなのに。

ハンパじゃない時間勉強してハンパじゃない壁を乗り越えてきたのに。

 

実家出て2,3年しか最低限の自分の身の周りのことすらやってこなかった人と

辞めたら履歴書に書く職歴増えちゃうからちょっと嫌なことがあったくらいじゃ辞められなくて

踏ん張って年数こなすうちに出来る様になったことの方がほとんどなのに。

 

私被害者私可哀相は母と暮らしてたせいでそれが当たり前の価値観になってしまっているんでしょう。

自分で選んでその価値観の場に身を置いて生きてきたんだから自己責任ですよ。

 

姉からの手紙3通目

今までの2通の手紙で姉はマトモになったのかなと思いかけていた。

私の方が姉より先に経験してたからという部分を何をどう聞けばそんな風に思えるんだ。

姉は高校1年の時から卒業してからも付き合い続けていた彼氏が居たから当然高校生の間に経験していただろうけど私が初めて彼氏が出来たのは私が高校3年、つまり姉が短大2年の時でしかも私はこの初めての彼とは数週間で別れていてキスどころか手も繋いでないし、もし私がこの彼と初体験していたとしたって姉が短大2年の時まで経験してない訳なのに何なんだろうとは思ったけど、その程度だった。

でも3通目の手紙からどんどんおかしくなっていく。

論点そこじゃねーだろ、なんでそんな考えになるんだとか、記憶のすり替えも甚だしいとか、毎回手紙が届く度に「はい?」って気持ちにさせられていく。

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40代にもなって、自分の嫌悪を受けて育ったことによって私の人格形成に影響を与えてたなんて知って衝撃って何?

今まで周りの人間関係に影響与えたこととか受けたこととかないの?

私はずっと周りに私に刺激されて勉強始めたとか留学決めたとか今まで受け身の恋愛したことしかなかった人が自分の好きな人に告白して本当の相思相愛の人生を歩むように変えたりとか、とにかく周りの人間に影響与えまくってきたから、まずこの言葉にビックリした。

 

次にウォークマンでもコンサートでも上の子である私は反対され説得するっていう過程を辿るのに下の子は前例あるからあっさりオッケーっていう、まあどこの兄弟姉妹でもありがちな上の子は損だという感情も混じって意地悪になったんだと思うって、はい?????

 

ウォークマンの道を切り開いて私が持ってるから姉もオッケーにしたんですけど、それを姉が苦労して道を切り開いた恩恵に私がちゃっかり乗っかった事例の一番目に持ってくるって、どれだけ記憶すり替えてるの?

私が高校1年からバイトを始めて、きぐるみの中の衣類が汗でびっしょりになるからそれが乾くまで乾燥機の運転が終わるまでが仕事でいただくお金に含まれてるからって言って夜7時までだった門限を大幅に遅くまでに道を切り開いてあげたのも私だし、きぐるみの釧路とか帯広とかの遠征の営業のバイトで外泊の道を切り開いてあげたのも私。

姉は犬かコウモリしか聞き取れないんじゃないかみたいな超音波みたいなキンキン声のヒステリーで何か言って親に叩かれるか、駄目って言われたらすんなり諦めるかのどっちかで、とにかく反対されたら自分で道を切り開くのは私の役目だった。

どこの兄弟姉妹にもありがちな上の子は損だという感情って、私は周りの姉妹がお互い誕生日にプレゼント贈り合ったり一緒にお茶したり映画観たりして仲良くしてるのが羨ましかった。

うちはプレゼントを送るどころか誕生日おめでとうと言ってもらうどころか、嫌悪されて睨まれていた。どうしてどこの兄弟姉妹にもありがちなことがうちの異常な姉妹にも当てはまると言えるのか神経疑う。

私はテレビが嫌いだから滅多に見ないのにうっかり「はじめてのおつかい」を見てしまった時に、カメラマン含めスタッフの大人がすぐに守りに入れる距離で見守ってることを知っててさえも子供が心配で2階の窓のカーテンの隙間から出かける自分の子供の姿を見送って心配で涙を流している母親、兄弟姉妹のどれかの組み合わせの時には必ず上の子が下の子のぐずるのをなだめたり何かトラブルが有った時には守ったりしてるのを見て、「みんなが当たり前過ぎてありがたいとすら思ってないものを私はただの一つたりとも与えられてない」とそれから2か月くらい落ち込んでしまった。

それくらいどの家庭にもあるべきものがうちの家庭にはなかったのに姉の記憶すり替えにはそれこそこっちが驚愕したし憤慨もした。

 

母が愛を知らない根拠に書いたことに関しても、私の言いたい事って結婚相談所にお金払って登録したのかお金払わないで資料だけもらったのかはっきりしてって事だと思う?

親にお金かかるから登録してないって言われて、お金払って登録してたらアウトだけど払ってないならセーフだね、その点はしかと美穂に伝えておくってなる価値観って本当に何の疑問も持たずその価値観の環境に私の2倍の年数身を置いてた人ならではだと思う。

その価値観じゃなかったら「論点そこじゃねーだろ、本登録したか聞いてんじゃないよ、愛を知らないからそんなことしてくるって話なのに感覚ずれてるにもほどがあるよ」となると思う。

 

どんどんどんどん、おかしくなっていく。

 

私からの返事2通目

姉ちゃん

 

返事遅くなってごめんね。

きっと、すごいいっぱい考えて悩んで、でも出来るだけ早く返事送ろうと頑張って書いてくれたと思うのに、ごめんね。

 

あまりに取り乱し過ぎて、なんて返事していいかわからなかったの。

まず、姉ちゃんが私の性犯罪被害のことを認識していたという事実があまりにびっくりだった。

それと同時に、6歳や7歳の何の知識もない女の子ですら事の重大さ、異常さに気が付いた時に両親がそれに気が付かないって本当にうちの両親は異常だなとも思った。

父はそれまで何年も一緒にお風呂に入ってなかったのに大人の体になった中1の時に急にお風呂に入ってきただけじゃなく、新しい家に引っ越してからは私と姉ちゃんのどちらかと廊下ですれ違う度におっぱい揉み揉みの真似して、男性嫌悪を助長させることしかしない加害者だからね。

私の男の友人達は娘が小さい時から、いつかは父親は娘に嫌われるって怯えてる。私の友達はちゃんと友達がいる人達だからちゃんとそういう情報を知ってる。うちの父は新聞が唯一の友達だから母が古新聞捨てた時に食卓セットの椅子がバラバラになるほどの力で母の背中に思いっきり打ち下ろすほど激怒したし、でもその唯一の友達の新聞は、思春期の娘が父親を嫌うようになるっていう情報を教えてくれなかったから、ますます嫌われる様なおっぱい揉み揉みをして私に「死ねばいい」と思うほどの嫌悪を抱かせた。性犯罪被害に合ってなくても思春期の女の子だったら絶対に気持ち悪いと思うことなのに、それを性犯罪被害者の次女にする父親は滅多に居ないよね。

 

私が物心つく前から私は姉ちゃんに嫌われてて、私が触るドアノブや蛇口はティッシュでくるまないと触れないし、母が洗濯して畳んでおいた姉ちゃんの服に私が誤って触ってしまったら姉ちゃんは汚らわしい物を触る様に出来るだけ指に触れる面積が小さくなる様にその服をつまんでそのまま洗濯籠に戻してた。そして手を洗ってた。私がどうしても姉ちゃんの部屋に入らなくてはいけない用事があった時、「ちょっと待って」と私の歩く道筋に新聞紙を敷かれて、その上からはみ出さない様に歩いてと言われた。

同じ屋根の下で激しい嫌悪の矛先が常に私の方に向いていた。

 

みんなは好きな人から折り返しや返信がないと嫌われたのかなと不安になるというけど、私はそれが親であろうと友達であろうと誰であろうとすぐ嫌われたと不安に駆られて生きてきたけど、それが姉ちゃんの嫌悪を受けて生きてきたトラウマのせいかもと3年前に気が付いた。

 

だから姉ちゃんが私の性犯罪の被害のことに関して、どうか覚えてませんようにって願ってくれてたなんて、私に対して愛があったなんて知って、動揺して滅茶苦茶に泣いたんだ。

自分の気持ちが色んな意味でかき回されて、混沌だった。

 

でも、お姉ちゃんに嫌われ続けたことがトラウマになってることなんて全く恨んでない。

カウンセラーさんが、症状は弱さを出せる相手に出るんだよ、と言っていた。

例えば、結婚した途端、鬱の症状が出ちゃったクライアントは、実家で父親から暴力を受けてたんだって。だけど実家には弱さを出せる相手が居なくて気を張ってたから症状が出なかったけど、旦那さんには弱さを出せるから結婚して旦那さんと暮らし始めたら初めて抑え込まれていた症状が表に出ることが出来たって。

お姉ちゃんの場合は、両親が異常だから強迫神経症になったんだけど、両親には症状を出せないから、家族で唯一年下で弱い立場の私に向けて症状を出したんだってカウンセラーさんは言ってる。それを聞いたら納得はしたけど、それを聞く前から私は姉ちゃんのことを傷付ける奴が居たら絶対に許さないし姉ちゃんが幸せでいるために私に出来ることは喜んでする、私はお姉ちゃん大好きだと思ってたから感情は変わらないかな。

私が一方的にお姉ちゃんを好きだと数年前に誕生日メールをもらうまで思ってたから、手紙をもらって私のこと心配してたとか幸せ願ってくれてるって知ってパニクッた。

 

ばあちゃんとの同居が始まって、私に嫌悪の矛先向けてる場合じゃない、美穂と協力して母を助けなくては、みたいな感じで嫁いびりや遺産争いをきっかけに仲良くなれたけど、私はいまだにお姉ちゃんには触れてはいけないものだと思ってるよ。

だけど、カウンセラーさんが言ってたよ。

こんな異常な両親だったらそりゃ手も洗うよ、お姉さんの反応は正常だよ、って。

 

お母さんが日本語通じないっていうか無神経なのは年のせいだけじゃない気がする。

お母さんにはお母さんのトラウマがあって病気なんだよってカウンセラーさんは言う。

だから仕方がないから許して関わっていくってことは今の時点では出来ない。

いつか出来る様になるといいけどね。

 

専門学校の彼のことも、キャッチホン付ければ繋ぎ止めれてたのかもなとかも思うけど、結ばれなかったってことは結ばれない運命だったってことでしょ。

 

専門学校の彼は顔は好みどんぴしゃだし運命の人だと信じて疑わなかったほど相性良かったけど、彼は彼でちょっと人を見下したり、一度相手をこういう人と思うとそういう風にしか見られなくなる部分もあった。

 

前回の手紙の時点ではまだ不安定だったから書けなかったんだけど、実はおつきあいをしている人が居ます。

 

9月23日の合コンで知り合って、その次の日から毎日メールのやり取りしてて、私はカウンセラーさんに「性のトラウマが治るまで恋愛禁止」と言われてたからその合コンは恋愛対象を探しに行くつもりはさらさらなくて、あわよくばサイドビジネスのビジネスパートナーをみつけるか、それが無理でも友達を増やすか、そこで出会った人から広げてさらに合コンとか、とにかく今は種を蒔くだけ、というスタンスで望んでたんだけど、この○○さんていう人のメールがとにかく面白くて、毎日楽しみにするようになってた。

顔が全く好みじゃない上に喫煙者だから恋愛対象外と思ってたんだけど、その時2枚目の自主制作アルバムを買ってくれたのが彼だけで、しかも次の日に感想のメールをくれたからいい人だなって思って。

友達でもアルバムをおつきあいで買ってはくれるけど感想を教えてくれた子は一人だけ。

他の人達は封を開けてもいないのかも。

だから歌うまいですね~程度でも、ちゃんと次の日に聞いて感想をくれたっていうのは私の中で好印象だった。

向こうは私が寝た後の深夜にメールしてくるし、私は昼の2時とか3時に返信するから毎回一日ずつずれてたけど、毎日メールしているうちに、面白いだけじゃなくて人間的に大人だなこの人、って思うようになって、気が付いたら好きになってた。

 

最初は二人きりじゃなくて合コンの2次会に残ってメールやり取りしてた2組の4人で飲みに行こうって話だったんだけど、もう一人の男に私が愛想尽かして最初から○○さんと二人きりの飲みになった。

私がおしゃべりじゃないから相手がおしゃべりじゃないと会話成立しないんだよなって若干心配してたんだけど、蓋を開けてみれば心配ご無用で会話が途切れる暇もないほど噛み合ってた。

その時に小石川後楽園という都内の中心部にある庭園と、紅葉台という富士山の見える所に行こう、と2回分のデートを申し込まれたので行くことにしたけど、結婚願望なさそうだよねと聞かれたので「ない」と答えて「○○さんは結婚願望あるの?」と聞くと「俺は温かい家庭に憧れるから結婚願望ある」と言われて、この時点でニーズがマッチしてなくて気まずくなったけど、お互い「ま、いっかデートするくらい」とお試しデートをすることになった。

 

次のデートまで1か月近く空いたけどそれまでも毎日メールはしてたし、小石川後楽園のデートは大成功で、その後行った飲み屋で私の恋愛観について教えてと言われて、何を言われても引かない、大きなタトゥーが入ってるって言っても大丈夫だよ、と言われたので性犯罪のトラウマでセックス恐怖症だということを話した。

恋愛観ではないかもしれないけど、ほとんどの元彼と別れた原因がこれだからこれを話せば恋愛観どころではなく私という人間が見えると思ったから。

 

そしたら○○さんは、今まで、強姦されたことがある女と、自分が振ったせいで相手が自殺しちゃったかもしれないって女と付き合ったことがあるから、その話を聞いても引かないよと言ってくれたからすごく安心した。

これを言うまでは詐欺かなっていう後ろめたさがずっとあるから、このことを知ってもなおかつ私でいいから会いたいと思ってくれるなら詐欺じゃないもんねって。

 

過去は過去でしょ、って言われたから「世の中のことを知る前に『男には他人の人生を滅茶苦茶にしてでも果たしたい激しい汚らわしい欲望がある』っていうことを知ってしまったから、人生のほとんど全てをそのフィルターを通して見てきたんだよ。このフィルターを通さずに見たものなんてほとんどないよ。だから私に取って世の中はそういうもので過去は過去とはならないよ。」と言うと「そうか」と納得してたけど、私はこの話をしてしまったら飲まずにはやっていられなくなって泥酔してしまった。

 

とりあえず次に行く紅葉台の電車とバスを調べよう、と言ってインターネットカフェまで歩いていく道すがら、手をつないできたので私もその手にすがって歩いたけど、後から聞いたら「付き合いたいと思ったから手をつないだ」んだって。

インターネットカフェで調べものをしている間も私は酔っ払って彼の肩に頭を乗せてた。

 

調べものが終わって、彼は私を有楽町線の改札まで送ってくれたせいで自分の終電を逃してしまってマンガ喫茶で泊まってそこから翌朝出勤しなくてはいけなくなった。

私は私を送ってくれなければ終電間に合ったかもしれないのに、ごめんなさいとメールしたけど、いつものことです、と紳士な感じで気にするなと言ってくれた。

 

紅葉台のデートまで3週間あったのでその真ん中くらいの時期に六本木ヒルズのイルミネーションに誘った。

鍋を食べてお酒を飲んで帰りの電車に乗る為に外に出た時に手をつないできたから、きっと今日ずっとつなぎたかったのにお酒の力を借りるまでつなげなかったんだ、女慣れしてなくて可愛いなと思った。

 

紅葉台のデートではずっと手を握っていたけど、私は性のトラウマが治るまでは恋愛禁止っていうしばりもあったから、このまま手を握ってデートをするような期間をだらりだらりと続けようかと思っていた。付き合わない限りセックスしなくて済むから。

 

本当は彼が八王子、私が大宮かなんか違う駅で降りる予定だったんだけど、なんかこのまま解散って寂しいって思って中間地点の立川で降りてちょっと飲んで帰ることにした。

ところがこの店で初めての喧嘩をしてしまい、私が「もう終わりだよ」って言い捨てて帰ろうとしたら腕を掴まれて、「ちょっと待って。今日楽しかった思い出も何もかもなかったことにするの?」みたいにごねられて、私がなかなか許さなかったら「わかったよ。俺がこの一杯飲み終わるまで付き合って。」と言われて付き合ってたら、気が付いたら二人とも終電なくなってた。

カラオケにでも行く?と聞かれたけど○○さんが喫煙者だから、朝まで密室で煙吸わされるのは本気で勘弁、と思ったからホテルを探したらどこも満室と言われて断られた。

仕方なくラブホテル街に行って二部屋だけ空いてたから高かったけどタクシーよりは安いので二人でお金を合わせて入った。

強姦されたことがある女とはデートを重ねても結局その女の子がセックスする覚悟は持てないまま別れたので性犯罪がどれほど女の人生を左右するか知ってる人だと思ったので、「強姦したら私が自殺してしまうかもしれないくらいのダメージを与えることは理解してるよね?」と聞いたら理解してたから一緒にホテルに泊まることにしたけど、いざいかがわしい密室に二人きりにされると恐怖心が広がっていたことを察したのか、○○さんはカラオケを始めて、二人で歌って大分緊張が和らいだ。

 

シャワーを浴びて出てきたらまた怖くなったけど、また○○さんがテレビをつけて怖くなくしてくれた。

 

ベッドに入っても約束通り抱き合うだけでセックスはしないというのは守ってくれたけど、肌と肌を合わせて抱き合ってキスされたので「え?付き合ってるんですか、私達?」と聞いたら「たぶん」と言うので「たぶん~?」と私がはっきりしろ!みたいなドスの聞いた感じで聞き直したら「じゃあ、付き合ってください」って言って付き合うことになっちゃった。私はカウンセラーさんの言いつけを破ってしまって内心あちゃーと思ってた。

 

私は基本的には睡眠薬を飲まないと寝付けないので朝までほとんど寝てなかった。

チェックアウトしてお昼ごはん一緒に食べて解散したけど、次の日の朝の通勤電車で財布を落としてしまって、早速何通もメールのやり取りをした。

財布が無事見つかってお礼の言葉をメールしたらフッフッフ、愛してるぜハニーと書いてくれて1日中浮かれてしまった。

後でハニーって甘いあれじゃないよ、埴輪に似てるから埴ィ~だよ、と言われて「似てる」と思って崩れ落ちてしまったけど。

 

その週の金曜日かな、部屋がどれくらい片付いてるか見に来るっていうから生理なのに頑張って掃除機とかかけて来るまでの時間に人を入れられるくらいに片付けた。

「人生がときめく片づけの魔法」という本を読んで私は変わったので部屋綺麗になったよ。

 

その夜も泊まっていって次の日も結局泊まったのかな?どの週からかはっきり覚えてないけどほとんど毎週金曜日の夜、仕事が終わったらうちにきて金曜、土曜、日曜と泊まって月曜日の朝、出勤の為に一緒に家を出る様な感じになったので○○さんは「よく俺と3日も一緒に居られるな」と最初言ってたけど、今じゃ当たり前の様になってる。水道光熱費いくらか入れてくれって言ってもくれないけど。

 

○○さんは専門学校の彼や○君と違って、セックスは愛だということを教えることで私のトラウマを治そうとする人で、実際今では○○さんとのセックスは愛だと感じられる。

カウンセラーさんも結局治そうと思ってる方向性は○○さんと一緒なので、私が「○○さんとのセックスは愛だと感じられる」と言ったら、都合のいいタイミングで都合のいい適役が現れたなって感じで安心してるっぽい。

 

週末3泊4日で一緒に居るって言っても、少しずつ少しずつだましだまし性的な要素を増やしていって、「レッスン3、終了~」とか言って、最後までやらずに少しずつ慣れる様に進めていってくれていた。「来年の今頃までかかっても構わないと思ってる」と言われた時はちょっと感動したな。それでも年明けには最後までするようになってたけどね。

 

毎週やろうとするほど性欲の多い人とこんなに長続きするのも初めてだし、もう何度目かわからないのに今正に挿入されそうという瞬間に思わず「怖い」と言ってしまって○○さんを傷付けてしまったりしている。セックスに関する喧嘩や別れ話も何回かあったしまだまだこのトラウマとは長い戦いになるみたいだよ。

 

○○さんが「過去は過去でしょ」とか、冗談で「強姦」「性犯罪」「痴漢」という言葉を軽々しく口に出すのを止めさせたくて、小林美佳さんの「性犯罪被害にあうということ」という本を読んでもらってる。私自身、読んで解決の助けにならないかなという希望をこめて読んだんだけど、これを読んで傷をえぐることになるのも読む前からわかってたけど、実際読んでみて処女じゃなくなってからレイプされても性的なことに対して恐怖と嫌悪で日常生活がままならなくなり、男性とのお付き合いに大きすぎるハンデを背負うのは同じだということと、毒親のせいで考えなくてもいいことを考えさせられているのを読んでいて、どこの親も狂ってるな、と悲しくなった。

 

○○さんの親も狂ってるから、○○さんも両親が嫌いなんだ。「あなたみたいにはっきり原因がわかってる訳じゃないんだけど、嫌いなんだよね」と言ってたけど、私に話してくれた話だけでも十分、そんな親は嫌いになって当然と思う。

 

私自身は同じ小林美佳さんの「性犯罪被害とたたかうということ」という本を読んでいる最中。少しでも、セックス嫌悪、セックス恐怖症が治る助けになればいいなと思ってる。

○○さんは、床に置いてあったこの2冊の本を見た時、「なんでこんな重い本読んでるの?」と言って、私が最初「性犯罪被害にあうということ」を読んで、とお願いした時、「いやだよ~!」と拒絶したんだけど、私と長い期間付き合っていくつもりじゃないの?と聞いたら持っていってくれた。

 

○○さんと私はお互い遠慮が少なく言いたいことを言い合うから、付き合った最初の3か月で2回泣かされて10回くらい怒らされて5回くらい別れ話切り出したくらい最初から飾らず素のままでぶつかり合ってる。

雨が降る度に地が固まってどんどん信頼や理解や愛情が深まってるので、お互いもう相手が嫌がるとわかってることはしなくなってるし、この人には嫌われないっていう安心感もお互いにある。

 

結婚は人生の墓場だと思って生きてきたけど、○○さんとなら人生の墓場じゃない結婚が出来ると思う。

一緒に居る時間が本当に楽しいし、心底愛してくれているのがわかるし、私も愛し過ぎてどうしようって思うほど愛してる。

付き合ってすぐの頃から結婚したいって言われてたけど、私が「出産、育児をしなくてもいいという条件なら」と言ったのにこの半年近くずっと子供を産む様に説得されてるんだ。

彼と何度喧嘩しても仲直りして続いてるのは、私が相手の言い分をきちんと聞いてしまうからで、○○さんは自分で「口げんかなら負けない」って言ってるくらい口がたつんだ。だからいつも「そうか、なるほど」って私が納得しちゃったり、「これは○○さんのトラウマが原因だから仕方ないな」とか、いつもいつも騙されてるのかなってくらい丸め込まれてるけど、子供産みたくないのも「子は鎹」って言われて、私と○○さんを繋ぎ止めるために子供が欲しいみたいに言われてほとんど説得されかかってる。

私がいかに子供の頃から子供が大っ嫌いか、妊娠&出産が怖いか、自分と違う全く新しい人間をこの世に作る責任が怖いか、自分の育て方によってその人間の人格が作られる責任が怖いか、も何度もうったえてるし、24時間365日休みなしで育児するくらいなら働く方がマシだって言ったら「俺が育児やる」とか「俺が専業主夫になってもいいよ」と言ってくれるし、私が育児ノイローゼで一泊とかでどこかに逃げてもいいって言ってくれてるので、出来たら産むかもしれない。まあ、今年40歳だから作ろうとしても出来る可能性も低いんだけどね。でも怖いね。

 

だから○○さんと結婚の挨拶に両親の家に行くかもしれない。泊まる気はないけどね。

今とても幸せだけど、○○さんと結婚してからも本当に幸せで生まれて良かった、生きてて良かったと思える様になったら、両親にも生んで育ててくれてありがとうと思える様になるかもしれない。

 

○○さんに何かあったら合コンの時の人達にメールしたら倒れたとか何か起きたとかの情報を得られるけど、私が倒れたり意識不明になったり危篤になったりしても誰も知らないけど、どうしたらいいの?って聞かれたのでお姉ちゃんの携帯の電話番号を教えてあるよ。

一昨年の10月くらいから少なくともauソフトバンクdocomoの3社間は番号でメール出来るから。

いきなり知らない番号から電話が掛かってきても姉ちゃん出ないかもしれないから、最初はメールしなよ、と言ってある。

私が危篤とかになったら、一番に○○さんに連絡してあげて。

 

姉ちゃんにも会わせてあげたいな、お笑い好きな姉ちゃんだからきっと姉ちゃんも○○さんのこと面白いと思うと思うよ。

 

実際今おつきあいしている人がいるからこそ日常的に傷付いたり落ち込んだりしながら性犯罪被害のトラウマと戦っているけれども、○○さんは私以外考えられないっていうほどぞっこんでべた惚れしてくれているから、セックスに関しても長期戦の構えで一緒に解決しようとしてくれていて、そして何年かかっても私が今までの元カノ達の様にイッたり出来なくても、セックスなんて全部の時間の10分の1にも満たないもので、それ以外の全部が楽しいんだから、セックスがうまくいかなくても気にしなくていい。他が全ていい特別な存在だから、と励ましてくれる。

 

だから戦いつつも、幸せな日々を過ごしていると伝えたかった。

毎日膝を抱えて泣いて暮らしてる訳でも絶望しかない暗闇の中を生きてる訳でもないよ。

○○さんを失ったらそうなるかもしれないけど、きっと二人は大丈夫だと思う。

だから、この幸せが続くように応援してね。

 

姉ちゃんもずっと幸せでいてね。

 

                                             美穂