私からの返事3通目

返事遅くなってごめんね。

 

私と姉ちゃんの違いは、諦めるか実力行使をするかの違いだと思う。

姉ちゃんは何かにつけて親に反対されたらその時点で諦めたけど私は説得した。

例えば、高校の時にバイトを始めるのも反対されたけど説得した。

初めてのバイト代でウォークマンを買うのを楽しみにしてて、買って聞きながら高校から帰ってきて家に入ってイヤホン外したら母が「あら、ウォークマン買ったの?姉に駄目って言ったのに。」と言われて、「は?何で駄目なの?」「耳悪くなるから」「ウォークマンで耳悪くなるわけないしょ。悪くなるんだったら何でみんな使ってるのさ」という感じで、私はウォークマンを悪いものと思う人間がこの世に存在するという発想すら出来なかったから、バイト代でウォークマン買うけどいい?って聞くことすらしなかった。

姉ちゃんは何で親に聞いたかっていうと、姉ちゃんはバイトしてなかったからお小遣いと貯金から買わなきゃいけなかったからで、私は自分で稼いだ金で何を買おうが自由と思ってたし、さすがに親に相談しなきゃいけないような悪いかもしれない要素があるものだったら相談したかもしれないけど悪い要素微塵もないものだったからね。

 

原付の免許は自分のバイト代でとっても親に反対されると思ったから、体育祭か何かの振り替え休日に免許試験受けに行って、開校記念日に免許証を免許試験場まで取りに行った。

郵送されると親にばれるから・・・でも、新聞奨学生で新聞配達に原付の免許が即活かせたから、母は免許とっておいて良かったねと言ってたけど。

 

家を出る時も、家を出たら勘当するって言われたけど、勘当されてもいいから家を出るって言った。

おばあちゃんと同居が始まった時、私は思春期の一番多感な時で、嫁いびりや遺産争い、大きい学校の生徒達のレベルの低さと面白くなさで真っ暗闇を生きてる気持ちだった。

特に私が母をかばうとばあちゃんから母へのいじめが5倍くらいにひどくなることがわかってからは、怒りはまず自分の中にしまって表に出さないという特訓を高三まで5年近く強いられたから、専門学校に入ってからも彼と同棲しなかったらずっと人前で怒りを表に出すことも涙を流すことも出来ないまま生きてたかもしれない。

 

毎晩毎晩、ばあちゃんの嫁いびりがつらくて部屋でこっそり泣いてた。母が私が泣いてることを知ったらもっと辛いだろうと思いやりの気持ちから決して母の前では泣かず、母の職場の愚痴やいじめの愚痴、遺産争いの愚痴の受け皿となって母を支えてた。

でも、寝る時になってもつらいことで頭がいっぱいで、考えて考えて泣いて泣いて眠れない体質になってそれからずっと不眠症。今でも睡眠薬飲まないと寝付けない。

だから、飢え死にしてもこの家にいるよりはマシって思ったから、勘当されても家を出ると言ったの。

 

でも、さすがに親子の縁が切れるのはお互い嫌だったから、仕送りするお金なんてないよ!という言葉尻をとらえて「仕送りなしでいいから家を出る」と言ったらじゃあ勘当しないけど出て行っていいよとなったの。

 

私が母に気を遣って母の前でつらい素振りをみせなかったから、母は私が飢え死にの方がマシと思うほどあの家庭の事情に痛めつけられてるのがわからなかったみたいで、一年で帰ってくると思ったと言ってた。死んでも帰るわけないのに。

 

専門学校を卒業した後、働き始めた会社が給料の支払い能力がなくなって新聞配達と集金と喫茶店のウェイトレスとデニーズの皿洗いを同時にやってて、月に一日くらいしか完全な休みがないほど働いても時給730円とかだから全然お金なくて、毎月6万円の家賃と3万円近い光熱費を払って暮らしてたら貯金をするどころか食べ物を買うお金すらない状態だったけど、フリーターのままじゃいけないと思って、就職活動をするから20万円貸してとお願いしたら「一人でやっていけないなら帰って来い」と言われて以降、お金を貸してとお願いするのも諦めた。

 

納豆の匂いがして糸引いてる、腐ってる食べ物を腐ってるとわかってても飢えをしのぐために食べてもお腹壊しもしなかった。免疫がついてた。

 

北海道拓殖銀行が潰れて北海道に仕事がなくなってからは帰ってこいって言わなくなったけど、実家に居る時に友達の家に赤ちゃん見にいくって言ったら「そんな、生まれたばっかりの赤ちゃんなんて猿みたいで可愛くないよ!そんなの見に行く必要ないよ!」とか、ことごとく家に縛り付けたがるくせして、私が家に居ても構ってくれることはなくていっつもテレビみてるかパチンコ行くかだった。

私はテレビが嫌いだから、無理して親に付き合ってテレビ見るとうつ病がひどくなるから部屋にこもると、だったら友達の家に遊びに行く方が有意義じゃないかと思うけど、母は私が家に居ないのは気に食わなくて家にしばりつけておけるなら一切関わらなくてもどうでもいいんだよ。

 

私が18歳の頃はNTTの固定電話の権利は7万5千円して、私は月9万円ちょっとの給料から、前借りして、引越ししてすぐに電話を引いた。

毎月2万5千円づつお店にお金返して、完全に私のものなのに、20歳以下は権利を持つ資格がないと、父の名義にさせられた。

私の方がよっぽどお金も自由になる時間もないのに、私から電話しても母から電話してきても、用件が終わったら必ず母から「もう切るよ!お金もったいない」と言って電話を切られた。

 

一年目に新聞奨学生に複数日程の休みがなかったから一年丸々帰省できなかったから、2年生の時に春休み、夏休み、冬休みと帰省したら「休みの度に帰ってこなくていいよ!お金もったいない」とこれ以上の金をドブに捨てる様な真似は他に考えられないくらいの吐き捨て方で言われた。

 

スカイメイトで往復3万円で帰省できたのは21歳までだったのに、4、5ヶ月に一度3万円払ってまで私に会いたくなかったらしい。姉ちゃんの食費や光熱費はそれ以上かかってただろうけど、それは気にならないけど家を出たやつに会うのには3万円はもったいない費用らしい。友達が、仙台の実家に帰って次の日東京で用事があるから帰らなきゃいけないって言ったら、じゃあその用事終わったらまた戻っておいでって新幹線代出してくれたっていう話を聞いて、うちは休みの度に帰ってこなくていいお金もったいないって言われたって言ったら「愛されてないんじゃないの?」と言われた。

 

卒業したら往復5万円じゃきかなくなったし親に会いたい願望もないし、友達も居なくなったから3年に一度くらいしか帰省しなくなった。

学生じゃなくなったから自分のお金で帰省したからもうお金もったいないと言われずに済んだけど、女の子なのに連絡がまめじゃないと怒られた。

私は友達にも年に一度も連絡しない人間なんだけどね。

 

姉ちゃんが仕事しないで遊んでる時期に帰省した時に、無職の間は月3万円家に入れなくてもいいって言ってるのに入れるんだよ、あの子も律儀だね、と言っててびっくりした。

私は家賃だけでその2倍以上、光熱費通信費も入れれば3倍くらい生きてるだけでかかるのに、無職の間は家賃払わなくていいですよなんて大家はいないのに。

 

それだけでもびっくりしたのに、母方のばあちゃん亡くなったときに座布団を贈るお金を私と姉ちゃんで出すって決まって、母が美穂は次帰省した時でいいよと言ったら姉ちゃんが「美穂ばっかりずるい」って怒ってるから払ってと言われた。

私ばっかりずるいって姉ちゃんいつも言うけどずるいか?って疑問に思った。

私は生活に追われて貯金も出来ないからうつ病がひどくて死ぬことしか考えられない時でも働かないという選択肢は選べなかったから。

まあ、あの実家を我慢するよりは働く方がマシなので、実家から逃げて自由になった私はずるいのかもなと思った。

だから私は親を甘いと思ったことは基本的にない。むしろ変な方向に厳しかった。

 

転校して大きい学校に通って、私立しか行けないような馬鹿が沢山いる陰湿で先生達もクズな中学に転校して、久しぶりに前の学校の同級生と会ってボーリングに行けた時に、門限が7時だから帰るね、って急いで帰った時、二人ともしらけきってた。

だから私は親は無駄に厳しかったという印象を持ってる。

 

母は二人居る娘が二人とも、8歳とかで「一生結婚しない。子供も生まない」って言い出すほど結婚は人生の墓場な家庭に育てておきながら、私が20代の時は帰省する度に人間ならなんでもいいから結婚しろ、孫の顔見せろと言って来た。

私はほとんどの元彼と性犯罪のトラウマに因るセックス嫌悪、セックス恐怖症が原因で別れてたけど、母に言ったら気も触れんばかりに自分を責めて自殺してしまうかもしれないと思ったから言わないであげた。それなのに30歳になって告げた時には「ひどいことするね」とだけ言ってぷいと居なくなり、それから3、4年後にその話になった時に「私は察したよ、お前は何も言わなかったけど」と胸を張って反らして自慢話みたいに言われた。

4歳5歳の美穂が性犯罪被害にあうことを恥ずかしいことと認識して母親にすら隠したのに私はスーパーお母さんだから察したよ、そんじょそこらの普通の母親なら気付かなかっただろうけどね、という自慢話になっちゃうんだよ、あの人にかかると。

私が、4歳や5歳の子供が性犯罪被害にあったことを恥ずかしいと認識できるわけないでしょ、私は必死で訴えたよ、泣いて泣いて何言ってるかわからなかったかもしれないけど、母親に言わないわけないしょ、といさめたら「そうかい」と言ってたけど、当時性の知識がなかった小学校低学年の姉が、後々性の知識を得た時にあの時美穂があったのは性犯罪被害かもしれないとわかるということは私の訴えは姉ちゃんにすらわかるものだったってことでしょ、それを申し訳なく思うどころか武勇伝にするような精神異常者だとわかってたら20代の時に気を遣わずに言えばよかった、思いやりってこの人に関してはことごとく意味ないなと思った。

 

私がカウンセリングに通い始めた時に「なんで警察呼んでくれなかったの」とかっていう一連のメールの最後に「美穂が悪いなんて思ってないよ。美穂の人生を台無しにしたかもね、ごめんね」と書いてあって、私はお母さんごめんなさいと号泣した。

でもカウンセラーはそれはお母さんは娘がごめんなさいと号泣するとわかってわざとやってるよと言われた。それは本当かどうかかわからないけど、その後で「過去のことを言われてもどうしてやることも出来ないね、未来のことなら気をつけることも出来るけど」と逆切れし、「だから30歳から結婚しろって言わなくなってやったのに、この恩知らずが」みたいな感じだったし、とどめに「美穂といつまでもこんな感じでいるのいやだ。早く機嫌直して遊びにおいで」というメールで、なんか返信しても返信しても意味わかんないこと言って責めてくる、面倒臭いからごめんねと言ってやり取り終わらせとけって感じで謝ったけど、何がどう悪かったか1mmもわかってないんだな、取るに足らない些細なことでへそまげていつまでも大人気なく怒ってるっていう認識でしかないんだな、と思ったから、二度と顔も見たくないほど嫌いになったし謝られた記憶がないといったのもそういうこと。

 

さすがに勝手に婚姻届を提出してしまうのはあまりにもだなと思ったから物凄い頑張って関わりを再開したのに、姉経由で付き合ってる人が居るって知ってただけで事情を何にも知らないのに、普通の良好な関係の何でも相談や連絡や報告のある母と娘みたいに「美穂結婚決まって今度挨拶に来るさ」みたいな言い方をしたから親戚がご祝儀持ってきたんでしょ。ちゃんと姉ちゃん経由でしか話聞いてないからどういう状況かわからないって言うか、それよりはっきりするまで誰にも何にも言わなきゃいいのにいかにも全て状況把握して決まったことみたいにいうから私と○○さんがひどい目にあったんだよ。○○家に反対されたら結婚の話なくなる時にお祝いされて何て言えばいいのさ。

 

姉ちゃんは母をかばってみっちゃん達が気が早いって言ったけど、母の話し方が実状に即したものだったらああはなってなかったと思うし、おばさんが来た時に私のこと褒めてたっていうから何をって聞いたら、ママがいっぱい自慢したからかな、計画性があって努力家だってって、いかにも育て方が良かったみたいな勢い。私が短大の資格を取ろうとし始めたのは○○さんのためだし、そもそも私が現役で大学に合格しなかったのは、ベビーブームの頂点で割を食ったのももちろんあるけど、それより何より受験勉強を全然しなかったからであって、そのツケを今払ってるだけだし、キャリアアップの為に留学や英語や簿記を頑張ったのだって実家に帰らないためには一生人に頼らず生きていくすべを身につけなきゃいけない一心であって、育て方が良かったからじゃない。

 

強いて言えば、高校の時に「お母さん、お願いだから離婚して。どんなにまずしくてもいい。姉ちゃんと三人で暮らそう?私も働くし」とお願いした時に「私一人で二人も子供育てられるわけないしょ」と私の結婚しているという社会的ステータスを奪い取ろうとするこの逆賊が!みたいな勢いで睨んで言われて、経済的な理由で離婚出来ない身には絶対ならないと思ったのが結果的に私の育て方が良かったになるのかもしれないけど、そもそも結婚する気なかったから自分で自分を一生養える力をつけるっていうのは幸せな家庭に育って結婚を夢見る普通の女の子達はいざとなったら男に食べさせてもらおうと思えるんだろうからそこが決定的に違うんだろうけど。

 

そもそも○○さんと結婚することになった決定打は○○さんの首ヘルニアの手術で、公然と手術入院の世話を出来る立場になるために結婚が必要だったんだけど、それをいうと親も心配するだろうしと思ってどっちの親にも黙ってたけど、短大の資格を取ろうと思ったのも、今の会社に勤めてる限りは手術が失敗して障害が残って○○さんが今の会社に戻れなくなっても養っていけるだけの経済力あるけど、外資系企業は「日本は採算取れないな」と思ったらあっさり日本から撤退するから職を失うことになる。

そしたらどれだけ実績あっても40歳過ぎで最終学歴高卒じゃレベルの高い仕事に応募する資格もないよ、ということで始めたもので本当に○○さんとの生活ありきで私の向上心云々ではない。

実際、結婚と引越し準備と手術入院の世話と短大の活動の両立は半端なくきついよ。

でも、母の嫌がらせがなければここまで大変じゃなかったのにと恨めしく思う。

 

○○さんは手術が失敗して死ぬことも障害が残ることも怖がってたし、私も新婚3ヶ月で未亡人とか、残りの人生仕事と介護になったらなんて言っていいかわからないという理由で11月まで友達にも結婚を知らせるメールが出来なかったのに、30年に一度も会わない、もうこの先の人生で会うかどうかもわからない全く関係ない、しかも私が極貧生活を送る方がマシと思うほど遺産争いで思春期に苦しめて私の人生を滅茶苦茶にした仇の親戚に勝手に言いふらして勝手にご祝儀受け取って、私の足の付け根のリンパはもうストレスと過労で破裂しそうな痛みのまま何ヶ月も過ごしたよ。

 

○○さんは20代の頃から毎週スノーボードをやりに群馬まで言って、車中泊するほど夢中でハーフパイプやらトリックやらでジャンプしまくって、そんなジャンプからの着地で首に負担かかり続けて、3年くらい前から首の後ろの痛みと、左手が痺れて震えてグーパーも出来ない、力が入らないでペットボトルの蓋すら開けられなくて私に開けてってお願いする時もあるほどポンコツだった。

手術が失敗したら親や弟夫婦に世話になると思うと腹を決められないでいたけど、何かあったら私が一生面倒みるから手術受けなよってことで結婚と手術が決まった。

 

○○さんは部屋の引き払いにてこずって新居と前の部屋の家賃2ヶ月分丸々支払った挙げ句、部屋の契約切れる日までに処分しきれなかった不要品の処分代金14万円もかかった。

新居の為の買い物や配達や配置だけでも土日祝日の朝から晩まで費やして、結婚と手術があるから昇進させないでくれってお願いしたのに新しい環境に異動させられて、異動したばかりで有休取りづらいって言って休みも取れない中、全く予想してない普段なんの付き合いもない親戚のお祝いのお返しのためにインターネットで朝3時まで調べ物して二人とも疲れ切りながら土曜日に池袋の百貨店や大型商業施設何軒も見て回って何時間も費やしてやっとお返し送付の手配して、帰宅しても手配すること、調べ物すること山積みで、○○さんは引っ越しや不要品処理の時間もなくなるわ、私に優先順位の立て方が有り得ないと怒られるわで、本当にあれさえなければもっとイライラしないで接してあげられただろうに、処分費用はもっとずっと少なくて済んだろうに、あそこまで疲れ果てなくて済んだろうに、もし手術が失敗したら残りわずかとなる二人の時間をもっと二人の為に割けたろうにと、恨みの気持ちしかないのに、姉ちゃんに免じて一回目はなんとか許したのに、あれだけきつく二人の引っ越しが終わるまでもう絶対誰にも言わないでと責めたのに、全く聞き入れず今度は母方の親戚に言いふらして勝手にご祝儀受け取って、自殺しか考えられないほど追い詰めてくる人はなんなの?

 

何とか家具の配置をとりあえずの急場しのぎなりに終えたら10月5日は○○さんの国家試験だから9月は二人とも勉強で、唯一息抜きに9月半ばの三連休の最初の二日は静岡の○○家の墓参りして、15日は休みだから14日の夜遅く帰って15日はゆっくりするという予定だったのに、中国出張の為に朝6時に起きなきゃいけなくなって、だから金曜日に洗濯3回転して干して、中国出張のために近所の3階建てのスーパーで買ったズボンのうちの一つが、一回もはく前から股のところの糸がビロビロ出てる不良品だから金曜日しか交換にいける日がないから、金曜日仕事終わって家帰って軽くご飯食べて洗濯回してる間にスーパー行ってズボン交換して戻ったら干して、それ終わったら洗濯2回転目を回してる間に9月13日&14日の旅行の準備と15日から一週間の中国出張の準備して、とやること山積みで睡眠時間も十分に取れないかもと思ってるところに、○○さんのお母さんから手紙が入っていて、札幌地方が大雨で大変みたいですけど大丈夫ですかみたいな内容で、初めて私宛でもらった手紙だったから、今日返事書いて投函しないと次返事書いて投函できるチャンスは中国出張から帰ってくる一週間以上先になってしまって失礼だからと、洗濯回しながら返事書いたけど、義理の母に出す初めての手紙だから慎重に言葉選んで字も丁寧に書くから時間掛かって、結局一回目の洗濯が終わってもまだ書き終わってなくて、やっと書き終わって少し皺になりかけてる洗濯物干して、スーパーに交換に行くズボン持って途中のコンビニで切手買ったけどポストは設置してませんて言われて投函できなくて、ズボン返品したはいいけど私がはけるサイズのズボンを選ぶのはそんな短時間ではすまないので結構時間かかって、でも洗濯して外に干して日に焼けて変色して伸びきったダルンダルンのズボンしか持ってないから中国出張の前にまともなズボンを買わなきゃいけないので切羽詰ってて、やっとの思いで代わりのズボン買って○○駅の辺りを郵便ポスト探してさまよい歩いても全然見つからなくて、結局手紙を投函するために○○○○駅まで行って駅の入口の脇にあるポストに投函した。

○○さんのお母さんが手紙送ってこなかったら洗濯とズボン交換しても○○さんが酩酊して帰ってくる時間までには眠りについてて次の日の旅行に午前中に出発できてたのに、その手紙のせいで○○さんが帰ってきた時間にまだ就寝できてなくて、面倒臭い酔っ払いの相手するために深夜2時近くまで寝ることが出来なかった。

だから次の日の旅行の出発が午後になって、墓参りは夜になって、ホテル着いたのは深夜になって、次の日帰宅したのは深夜1時過ぎてた。

そこからお風呂入って出張の準備して、寝たのは2時半過ぎで起きたのが6時前後だから3時間ちょっとしか寝てなくてフラフラだった。

 

空港まではスーツケースにノートパソコン入ったバッグに他の荷物もあって押さえながら電車乗ってたから寝るどころじゃないし、飛行機が離陸して15分くらいはうとうとしたかもしれないけど、基本的に私は睡眠薬なしでは寝られない人だから、香港の空港着いても頭が朦朧としてて、シンセンに行くフェリーが台風の影響で1時間近く遅れるし、フェリー降りたらCustom通る前に羽田で預けたスーツケース受け取らなきゃいけないってシンセンのオフィスの人からもらったインストラクションに書いてたのにCustom通ってからそのインストラクション読んで焦って「まだ荷物取ってないから戻っていいですか?」って聞いても一度Custom通ったらもう戻ることは出来ない、ここで待てと犬の様にシッシッと追い払われて、何度も別の人に事情を説明しても犬以下の様な扱いを受けて、やっとのことで受取人のいなかった荷物を乗せたカートを押してきた階級の低そうな男に私のスーツケースを蹴って渡されて、なんとか荷物を取り返せたけどあわや失うところだった。私の性格からしてそこまで睡眠不足じゃなければ確実にCustomより前にインストラクション読み返してたからそんな目に会ってなかったと思うから、義母の手紙のせいでひどい目にあったと思った。フェリー港のタクシー乗り場の行列は長いのにタクシーが一台ずつしか来なくて、家出てからホテルに着くまで11時間近く掛かってもう倒れそうだった。

 

札幌の大雨なんて、けが人も出てなければ行方不明者もいない程度の自然災害なのに、会ったこともない義理の家族を心配する姿勢を見せたい自己満足のエゴのために私がスーツケース失うか、下手したら中国で殺されることだってあったのに、本当に迷惑で迷惑でしょうもないことで働いてる人間に迷惑かけるなよと心底うんざりした。

 

9月15日と20日は日本はお休みだったけど、去年も○○さんは同じ試験を受けるのに勉強を始めるのが遅くて3週間くらい前からやっと着手して落ちたし、それも私が見てる間はやるけどちょっと目を離したり外出するとやらなかったから、今年も私が出張で留守してる間やってくれないんじゃないかと不安だった。

20日は午前中にホテルをチェックアウトしたのに板橋区の自宅に着いたのは深夜0時過ぎ、行きも帰りも片道11時間かかって疲れ果てた。

 

次の日は昼の3時くらいまで寝させてもらったけど、基本的に10月5日の試験までは○○さんの受験支援体制でいなきゃいけないから家事はやったけど、私が洗濯2回転したことに対して○○さんが「俺がお前の留守中洗濯しておいたから2回転で済んだんだよ。やってなかったら5回転だよ」と言われて、専業主婦で食わせてもらってる女が友達と旅行で留守した場合であってもいい大人なら自分の着た物はいた物くらい自分で洗えよと思うのに、私は仕事で行きたくない中国で英語もほとんど通じなくて辛い一週間を過ごしてたのに、のうのうと毎日飲み歩いてた○○さんよりよっぽど大変な日々を過ごして家計に貢献してるのに、なんで洗濯はお前の仕事なのに俺がやってやったみたいになるの?7月までは20年間自分で着た物はいた物を自分で洗濯するのが当然だったのになんで結婚した途端に私の仕事になるの、共働きで私の方がひどい目にあってる時に?と、せっかくこの人となら人生の墓場じゃない結婚が出来ると思ってた気持ちをことごとく裏切られた気持ちになった。

 

土曜日は深夜0時過ぎてからの帰宅だったし日曜日だけじゃ疲れ取れなくて月曜日の午後を祝日と土曜日に中国出張に費やした代休の一部として使ったけど、結局お風呂上がってから18時まで家で仕事したから全然休めなかったし風呂上りに窓開けっ放しで仕事したから風邪引いてしまって、その後一週間熱が下がらなかった。

それでも私の方が会社から帰宅するの早いから毎晩夕ご飯作って週末は洗濯や最低限の片付けと短大の勉強を誰に言われるわけでもないのに自分で目標設定してコツコツ進めてるのに、○○さんは次の週が試験だって言うのに現実逃避でハンバーグ作ったりYou Tubeを徹夜で朝9時までみたり、気が狂ったことして結局180問中117問正解で合格のところ107問しか正解しなくて不合格さ。あと10問で合格だもん、ちゃんとやってれば。

朝9時までYou Tube見ないでハンバーグ作るの私にやらせてたら合格してたのに、せっかくあんなに勉強したのにまた来年やり直しだよと言ったら、あれだけやれば受かると思ったとか言って懲りてなかった。

 

10月15日から手術入院で○○さんはこれで死ぬかもと思ってたから10月11日、12日、13日の三連休は秩父に旅行に行って私は14日から17日まで入院準備と術後の世話のために有休を取った。

秩父の宿泊施設でバーベキューしてる時も○○さんが「もうこれで死んでも悔いはないよ」とか言いながら、二人とも恐怖でいっぱいだった。

秩父神社天照大神のお札を買い直して帰宅して、14日は氏神様の神社にお参りしてお札を買って、入院のための書類や身の回りの物を準備して、最後に断髪式をした。

私に切って欲しいというからスキカルみたいのを買って、まず髪を切ってから後頭部を剃って髭剃りでツルツルにした。手術のためにそうしなくてはいけないという指示だったから。

 

15日に一緒に入院手続きしていろんな人からいろんな説明を受けて、執刀医からこの手術をしないと将来かなり高い確率で左脚も麻痺して車椅子の生活になるから手術は一日でも早い方がいいと言われつつも、どんな手術にもリスクはあるということを知っていて欲しいといろんな可能性の話もされた。

 

首の後ろの骨が頚椎の神経を圧迫して痺れや震えが生じているので、骨から筋肉を剥がして後ろの骨を金属で広げて神経の圧迫をやめる手術なので、脊髄に触ってはがすから最悪障害に結びつくこともあるし、死ぬこともあると。でももうここまできてやめるという選択肢はないから次の朝手術を控えて私は面会時間終了の8時に「明日手術の時間までに来るからね」と病院を後にしたけど、結局手術の時間より早く看護師さんが手術室に連れていってしまってたので手術前に会うことはできなかったけど、手術が終わって酸素マスクをされた常態で移動ベッドで帰ってきた○○さんを見て涙があふれたけど、手術した場所に血液がたまらないように管を挿して血液を逃がすようになってたその血をみて私は倒れそうになってしまった。

その血液を逃がすドレインという管を術後2日後に抜くけど、その時に血がとまらなかったらひとたまりもない、一巻の終わりですと医者に脅されて私はめちゃめちゃ不安にさせられてた。

でもとりあえず手術は成功して、○○さんも思ったほど痛みに七転八倒しないし、手術の次の日に立って歩けるほど経過も良好で、手術の二日後にドレインを抜いても血液がたまることもなく、若いから回復が早くて元々2週間の入院の予定が25日に退院できることになった。

○○さんが一日も欠かさずお見舞いに来て欲しいって言うから、18日も夜8時の面会時間ぎりぎりまで病院に居て家に帰ってから復習して19日の短大の試験を終えて一旦帰宅して洗濯物干してから面会行って、その次の週は仕事に復帰してたから夜7時から8時の一時間しか会えなかったけど、二人にとってとても大事な時間だった。

 

24日までに提出してレポート合格した科目しか12月7日の試験を受けられないから入院の世話や試験までこなしながら2科目レポート提出して、10月の試験も2科目とも合格してこの時出したレポートも2科目とも合格して、難易度が違うとはいえ、やることやってても短大の単位取得のために努力を続けられる妻を持ってる人がたった一ヶ月だけ、一つの試験さえ受かればもう残りの人生で試験を受ける必要もないのに朝までYou Tubeみて不合格する大人って何?と思ったよ。

 

○○さんは退院してきたけど、首の後ろ15センチくらいの手術あとは生々しいし、重い物とか持たせたらプチって傷口開いて死んじゃいそうだからジャンプとヤングマガジン程度の重さの物さえ持たせないで私が持ってたのに、母から送ってきたイクラとかラム肉とかの重い荷物を私がお風呂に入ってる時に配達の人が来ちゃったから○○さんが受け取ったのはもう恐怖で凍りついたよ。

 

姉ちゃんのおかげで母から連絡なかったのに、○○さんが退院してくる前の日にメールあって、イクラいくらでも買えました。○○さんの好物とのこと沢山作りました、何時送ったらいいか良いか教えてくださいというメールが来て、「毎日猛反省しています」という文章の割りに○○さんってなんだよ、と思ったから、「私の夫は○○ですが、○○って誰ですか?イクラの醤油漬けを作ろうと思って昨日レシピを会社でプリントアウトしてきたけど、母のレシピを教えてください、って返信したら、レシピっていうほど決まった分量でないって言ってきたからクックパッドの通りに作ったら普通に母と変わらないくらい美味しかった。

土曜日に○○さんが退院してきて美穂のイクラ美味しいなって言って、やっと二人きりになれてゆっくりしてたら、母から月曜日に送りますって強行のメール来たから「わかりました、いただきます」と返事したけど、私が風呂入るのも悪いけど母が今重い物持ったら死んじゃうかもしれない○○さんに送ってくれとも頼んでない重い荷物を送りつけてきて○○さんが死んだら私母のこと呪い殺してたかもしれないっていうほど迷惑に思った。

○○さんはお前の親の○○さん殺害計画だろって言ってた。

 

金曜日に○○さんの母親からも「経過が良くて安心しました。11月1日か2日にでも元気な二人に会いに行きたいけどどうですか?」みたいなメールがきて、「仕事に看病大変ですね、休める時に休んでくださいって言いながら、次の週末に遊びに来るって言われたら今週末土曜も日曜も平日仕事終わった後掃除しなきゃいけないのにいつ休めって言うの?私が過労死したらいいと思ってるんだ!と○○さんに愚痴って病院で泣いてしまったくらいに追い詰められた。

 

母親って生き物は仕事辞めたら暇で暇で寂しくって子供にかまって欲しくてたまらなくて子供にとっては迷惑なことを親切のつもりでやるから悪意よりもたちが悪く、手を変え品を変え死力を尽くして殺そうとしてくる死ぬまで関わりたくない存在だと結婚の情報を親に伝えて関わりを再開してから常に思うよ。

 

○○さん本人には黙って18歳から加入してた都民共済の保険金も今回の手術入院で下りるからと送ってきた保険金請求書に同封されてた手紙にも、お祝いもする前にお見舞いなんて、とか書いてあって、手術のために結婚したんだから私達二人の間では何も順番がおかしいことなんてないのに面倒臭いなあと思うし、何の力にもなれなくてみたいなことを書かれても、貴方達母親が出来る子供にとってもっともありがたい行いは、出来るだけ私達に関わらないで放っておいてくれることだよと思う。

 

姉ちゃんは鬼のような親でもないんだからとかばうけど、悪意なく子供の育て方を間違うことや迷惑なことしかしない方が本人達の自覚がない分もっとたちが悪いと思う。

 

私がオーストラリアから帰国してすぐに受けたTOEICは目標点ちょうどの730点だった。

そこから2年間、英会話の学校に入り浸って890点取れた。

嬉しくて、電話が嫌いだから3年に一度も電話しない私が母に電話した。

「お母さん、聞いて。オーストラリアから帰ってきた時TOEIC730点だったのに、今回890点取ったよ!」

そしたら母は即座に、「お母さんの友達で990点取った人居るわ。それってすごいの?」

「・・・990点って言ったら満点だよ」

母「え?1000点じゃないの?おかしいね」

「TOEICは偏差値だから990点が満点だよ。だからお母さんの友達満点だよ」

母「そうかい。英語の先生だけど満点とはすごいね」

 

・・・二度と母に電話したくないよね。

730点より890点の方が、890点より990点の方が高いってことは小学生でもわかるでしょ。

いくらTOEICの満点が何点かしらなくても、その友達のことってこのタイミングで言うこと?

 

専門学校の彼が居なくなった時に、自殺したらこれから先の母の人生に責任取れないって思いやりで自殺を踏みとどまったのに母に「あんな可愛い子がお前みたいのと付き合ってるのが不思議だったんだ」って言われたってことを母に伝えた時に「そんなこと、たとえ思ってたとしても普通言うかい?」と言われたそうだけど、普通言うかい?ってことを言うのが私達の母って女じゃないの?

 

母が言ってないことを私が一人で勝手に妄想ででっち上げて、その妄想で20年以上も恨み続けてるという可能性と、母が人を傷つけるようなことを平気で言って、本人は綺麗さっぱり忘れてるという可能性と、姉ちゃんだったらどっちが真実かわかるよね?

 

私と○○さんにしてみれば、手術がどうなるかが結婚前から一番大事で、最期の時間となったとしたならそれこそ二人で幸せな時間を過ごしたいと思ってるのに、実母と義母がことごとく邪魔してきて、親という存在とどうにかして縁を切りたいと思ったよ。

 

手術の話になる度に○○さんが私に、手術が失敗して俺が死んでも自殺するなよ、お前が自殺するとあの世で会えないから、と繰り返し言われたけど、私は○○さんが死んだら迷いなく自殺すると思うよ。

 

残された人のこと考えると、っていう思いやりでとどまってたけど、思いやりがいかに何の意味もないことかを母がことごとく証明してくれたからね。

あの世のことなんてどうでもいい、○○さんが居なくなったら生きててもしょうがないと思うから。

 

○○さんと私の生活は、手術入院で絆が深まったこともあって幸せそのものです。

料理も、麻婆豆腐の素とかじゃなくて味噌や醤油や豆板醤から作ったりしてて、それをいつも美味しいと言ってくれているので楽しく続けています。

○○さんが退院して私が仕事の時はご馳走作って待っててくれたしね。

 

11月22日、29日、30日と短大のスクーリングで9時から18時までびっちり勉強なので疲れそう。12月7日は試験だからその前の日は復習だし、12月12日、13日、14日はまた違う教科の短大のスクーリングだから気持ちに余裕がないよ。

年末年始は決算だから一年で一番仕事が忙しいしね。

 

○○さんのお母さんが私の家族と顔合わせをセッティングしろってうるさいけど、手術後半年は突発的な何かが起こる可能性があると言われたから、すくなくとも2月までは放っておいて欲しいよ。

来年になったら親に会うことが耐えられるようになってるかは今の時点ではわからないです。

返事遅くなってごめんね、そういう事情でした。

 

姉ちゃんも頑張ってね。