私の一回目の返事

姉ちゃんへ

 

お手紙ありがとう。

お母さんがお姉ちゃんに相談してるかもしれないとは思ってたけど、

一番肝心なことを言わないでどうでもいいことだけ伝えてることにびっくりした。

サイドビジネスなんて私自身とっくに辞めてるし、お母さんが断ったことなんて姉ちゃんの手紙読むまで頭の片隅にすらなくすっからかんに忘れてたほどどうでもいいよ。

そんなことで私が怒ってるみたいに姉ちゃんに言ってるって聞いて、ますます母の精神異常さを確信したわ。

 

私が幼稚園生の時、4歳か5歳の時にあゆみ幼稚園からの帰り道に酔っぱらいの中年男性に資材置き場に連れていかれてパンツを脱がされて私の局部にその中年男性の局部を数十分にわたってこすりつけられた。

私が泣きわめいたら「大声出したら犬来るよ」って言われて、犬も怖かったから声を殺して泣いてた。

10歳以下の記憶はほとんどないのに、あの資材置き場の風景とその男性の赤ら顔、されたことだけははっきり覚えてる。

家に帰って母に泣いて話したのに、母は私を病院にも連れていかなければ警察にも連れていかず、転んで泣いた時と同じ対応しかしれくれなかった。

 

カウンセラーの言う通りだと思ったけど、その時母が自分の出来るベストの対応を取ってくれていたら私の傷はここまで深くなってなかったって。

 

子供の作り方よりも先に「男には他人の人生を滅茶苦茶にしてまでも果たしたいほどの激しく汚らわしい欲望がある」と知ってからそのフィルターを通して世の中を知ったから、子供の作り方を知った時もみんなみたいにショックを受けなかった。

愛する者同士がする行為だと言われても「違うよ、男の汚い欲求を満たす為の行為だよ」としか思えなかった。

専門学校に入って彼氏が出来ても、相手はセックスしたがるけど私にとってセックスは怖くて汚らわしいものでしかなかったからしたくなくて、避けてるうちに別れることになった。

 

専門学校時代に姉ちゃんからもらった手紙に「付き合ってたら自然になること」と書いてあったのを読んで、同じ両親の元で育っても性犯罪の被害に合わずに育ってたらこんな普通の女性に育てるんだってショックだった。

 

専門学校の彼が特別だったのは、同棲して同じシングルベッドで一緒に寝てるのに一年半も我慢してくれたこと。

私のトラウマを理解してくれて、20歳や21歳なんて性欲の多い年頃だろうに、自分の欲求より私の人権の方を尊重してくれた。

この人ならいいじゃなくてこの人以外考えられないと思い、勇気を出して処女を捧げた。

処女を喪失してからも当たり前の様に求めたりはせず、ずっと私の心を尊重してくれた。

その専門学校の彼を失ってからは男性不信を増幅させる様な男ばかりがたくさんいることを知った。

 

基本的に現代の日本人男性は付き合ってるのにセックスさせないのは詐欺くらいの感覚の人の方が多い。

だからそのうち両想いになっても付き合わないという選択肢を取るようになっていた。

○君も待ってくれたし基本的にしないでくれたから年単位でおつきあいできたけど、最終的にはやっぱりセックスしたくて私との別れを選んだ印象だった。

 

○君と別れてから5年半くらい彼氏が出来なくて、時間が経てばトラウマも薄れるかと期待した。でも、性のトラウマは時間が解決しないことが弘との交際で発覚した。

 

セックスした後、痛くて痛くて、10日間くらい痛くてたまらなくて、次に会ったらまたセックスしなきゃいけないと思うと会いたくも好きでもなくなるという、○君と付き合う前のパターンがまた起こってたから、これは自然に時間が解決する問題でもないから覚悟を決めてカウンセリングに通うことに決めた。

 

何人おつきあいしてもみんなセックスするのが嫌で別れてたから今までも何度もカウンセリングに通いたいと思ってたけど、経済的に無理だった。でもこのトラウマはカウンセリングに通わない限り時間の経過では絶対に克服しないということが立証された今はもう、自殺しない限りあと何十年生きなきゃいけないかわからないのに、残りの人生恋愛なしならそれこそいっそ今すぐ死ぬ方がマシだけど、自殺だけは絶対にしてはいけないからとりあえずお金で治るなら、とカウンセリングに通い始めた。

性のトラウマが治るまではセックスは拷問でしかないからトラウマが治るまで恋愛はお休みしよう、と言われた。

セックスさせなきゃ付き合わない様な男なら要らないとも言われた。

私が痛くてたまらないのは、体も向いてないのではなくて、セックスされてる時に「怖いことされてる」って恐怖で緊張してるから体がこわばってるから痛くて当然だと言われた。

 

言われたこと全部その通りだなと思ったけど、一晩寝て冷静になっても同じ様に思うか様子をみてみようと思って一晩寝て起きても考えが変わらなかったから弘に「性のトラウマが治るまではセックスは拷問でしかないと言われた。まったくもってその通りだと思う。セックスさせなきゃ付き合わない様な男なら要らないとも言われた。それもまったくもってその通りだと思う。カウンセリングにどれくらいの期間を要するかはわからないけど、弘に迷惑を掛けるので身を引きます」とメールしたらそれに対して一言の返信もなかった。

やれないなら要らないってことなんだなと思って、そんな男ならこっちから要らないと思った。

 

それからお母さんに「なんで幼稚園にお迎えに来てくれなかったの?どうして警察に届けてくれなかったの?」とメールしたら「そんなこと今更言われてもあの時ママも若くてどうしていいかわからなかったし、警察に届けたら周りに知れていいことなかったと思うよ」という返信が来た。

若くてどうしていいかわからなかったって、35歳で若くてわからなかったらいくつだったらわかるんだよ、25歳とかならまだわかるけど、と思ったし、周りに知れていいことなかったって、幼稚園児に性犯罪の被害にあって恥ずかしいなんて概念がある訳ないんだから、周りに知られてでも警察に言うべきでしょう?周りに知れていいことないのは母が幼稚園児の娘をお迎えにすらいかない怠惰な母親だって世間に知られるのがいいことないって話だと思うと、世間体の為に娘のためにしてあげられるベストを尽くさないひどい母親だってことがわかるよ。

 

この間、8歳の女の子が性犯罪の被害にあったけど、親が警察に届けてその女の子の似顔絵が決め手でその犯人が逮捕された事件のことを知って、この女の子も私と同じく、「男には汚い欲望がある」というフィルターを通して世の中を知っていくのには変わりないけれど、親がその時に出来る限りのベストを尽くしてくれたことで親に対する信頼も深まるし、性犯罪の再犯率はものすごい高いけどこの犯人が逮捕されたことでもし逮捕されなかった場合には発生していたであろう、第二、第三の被害者もくいとめることができただろうし、この女の子のトラウマは私よりずっと軽く済むだろうと思った。

 

うちの母は世間体のために結婚して好きでもない男に体触られても平気で世間体の為に離婚しなかったくらい世間体が第一で生きてる人だから、自分の世間体のために娘を一生カタワにしたんだよ。

その上、私が中学一年くらいの時に、当時の家で父が私の入ってる風呂に入ってこようとするのも止めもしなかったんだから。

姉ちゃんも知ってる通り、あの家の構造上、私がお風呂に入ってることを知らずに誰かが入ってくるのはあり得ないでしょ。

私の推測だけど、父が「美穂と最近コミュニケーションがうまくとれないな、昔みたいに一緒に風呂でも入ろうかな」みたいな感じになって母が止めるどころか「そうしたら」と言ったとしか考えられないでしょ。

娘が性犯罪のトラウマがあるのをわかってたら普通の母親だったら「お父さん何やってるの!今美穂が入ってるよ!」って止めてくれるでしょ。

私は性的なことを早くから知っていたせいか小学校4年生でもう毛が生え揃ってたし胸も大きかった。逃げ場のないお風呂に父が入ってきたことはカウンセラーも性的虐待だと言っているし、25年以上経ってるのに許せなくて忘れられないほど私の男性嫌悪を助長させる事件だった。

母はペットの兎がさかってもケラケラ楽しそうに笑ってるし、テレビで紳助とかが下ネタばっかり言ってても父と二人で爆笑してる。基本的に性の意識が本当に低いのさ。

 

私は専門学校時代からセックス恐怖症のせいで男性とのおつきあいに半端じゃないハンデを背負って生きてきたけど、母が気がふれるくらいに罪悪感に苛まれるんじゃないかと恐れて30歳まで言わなかった。30歳の時に「私結婚出来ない。性犯罪の被害にあったトラウマでセックス出来ないから」と告白して泣いたら、母は一言「(性犯罪者は)ひどい事するね」と言って私関係ないと言わんばかりにどこか行ってしまった。

 

それから結婚結婚て言わないであげるようになったとか、過去のことを言われてもどうしてあげることも出来ないね、未来のことだったら気をつけることもできるけどって逆切れしてるだけなんだよ。

 

弘と別れた時に「弘とは別れたよ。セックスさせなくても愛してくれた専門学校の彼と○君以外はみんな同じ理由で別れてる。次会ったらセックスしなきゃいけないと思うと会いたくなくなって、会いたくなくなったら好きでもなくなって別れてる」とメールしたらその返信が、「弘君、結婚願望あって子供も欲しいから美穂といつまでも付き合ってても仕方ないと思ったんじゃない?」だよ。

日本語通じないにもほどがあるでしょ。

私のメール読んだら百人中百人がセックスしたくなくて美穂からお別れしたんだなってわかるでしょ?

この返信に激怒して何度メールをやり取りしても全部日本語通じない返事が返ってきて、最後に「美穂が結婚願望ないから悪いなんて思ってないよ。お母さんが悪くないなんて思ってないよ。美穂の人生を台無しにしたかもね、ごめんね」というメールがきて、私は母を傷つけたという罪悪感で泣いて泣いて止まらなかったけど、カウンセラーさんは、お母さんはそうしたら私が罪悪感でそうなることわかっててやってるよって言う。

世のお母さんっていう生き物は自分をかわいそうに見せて子供をコントロールする術を知ってるって。

 

そう言われたら、私は母がおばあちゃんにいじめられて恵子さんとかも遺産目当てで陰険だし仕事先でも顔面が曲がるほどのストレスで、三回分の人生くらいの苦しさを味わってるお母さんに更に美穂がお母さんがいじめにあってることの辛さで毎晩泣いてることを知ったら今以上の苦しみを与えることになるっていう母に対する思いやりから、部屋でこっそり泣くか、お風呂の中で泣くか、とにかくお母さんには泣いてるところを見せないように気を付けて、でも傷ついて傷ついて毎晩泣いてた。

それが勘当されても仕送りなくてもいいから実家を出た本当の理由だよ。

でも、私にもう少し思いやりが足りなくて、母の前で泣いてたら「美穂傷ついてるわ。弱いふりして美穂の愛情確認するためにいじめられてたけどやめよう」って、私がいるうちにおばあちゃんに対抗するのを始めてたかもしれない。

私が専門学校から初めて帰省した時に、お母さんが私なしでも全然おばあちゃんに対抗できてるのを見て、私がこの家出たの正解だったなと思ったけど、カウンセラーさんの言うことと辻褄あってるよ。母は「お母さんかわいそう」って美穂の愛情を向けられるためにわざといじめられて弱さを演じてたけど、美穂が家を出たらそのメリットがなくなったから自力で対抗し始めたって。元々出来る力があるのにやってなかったからだって。

 

カウンセラーに母の話をすればするほどどれほど母が異常かを冷静に知ることが出来てきていて、私は思いやりが多いおかげで性のトラウマのことも30歳まで母に言わないであげたのにいざ打ち明けてみたら母は自分の何が悪いかもわかってないほど罪悪感ないし、私が毎晩泣くほどつらい思春期を送って、専門学校の彼のおかげで人前で泣くことも再び出来るようになったけど、専門学校の彼と付き合うまでは人前では泣けないようになってたし、中学2年から不眠症なのも毎晩家庭の事情を考え事して泣いてたせいなのに。

 

この間母からメールが来て、点滴の漏れた跡が一年近く経つのに治らないだのもうすぐ70歳だのの話の後、「美穂とこんな感じでずっといるのは堪えられない、早く機嫌直して遊びにおいで、待ってるから。」で終わってた。

「機嫌直して」なんて、自分の責任で娘をカタワにした人間の選ぶ言葉じゃないでしょ?「機嫌直して」なんて表現は私がどうでもいいことでヘソ曲げて大人気ない態度取ってるような時に使う言葉でしょ。

このメール来る前から二度と顔も見たくないと思ってたのに、この「機嫌直して」っていう表現から母がどれほど私のトラウマを取るに足らないどうでもいいことと思ってるかわかったからさ、死ぬまで会いたくないわ。

 

私は激怒のあまり「死ぬまでカタワで男性とのお付き合いに大きすぎるハンデ与えられてあと何十年生きなきゃいけないかわからない方がよっぽど堪えられない地獄だよ。死んだ方がマシだ。自分が被害者みたいな言い方しないで。」と返信したからそれでまた姉ちゃんに泣きついたんだろうけど、私が何度この性のトラウマのせいで生きていく希望を持てないことを言っても理解しないと思ったけど、考えてみればそれも当然かも。

母は愛を知らないんだもの。

 

姉ちゃんがヒロさんと何年もラブラブで幸せで、私も○君と愛し愛されて幸せで二人とも年単位の交際がうまくいってる時に、勝手に私の名前で結婚紹介所に登録して、資料に載ってる男性達の顔写真と年収何百万っていうところに丸付けて送ってくるんだからね。

恋だの愛だの、飯食ってくのに一つの役にも立たないしょうもないことさっさとやめて結婚しろって価値観の人だもんね。

 

恋愛も愛も知らない母はかわいそうな人間でもあるけど、やっぱり精神異常だから私は関わりたくないよ。

普通の愛のある家庭だったら娘二人と母親はもっと仲良くて当たり前だと思うよ。

姉ちゃんがペットの兎の入院には二回も見舞いに行ったのに母の入院には見舞いに行かなかったって話とかを聞いても基本的に正しい愛情を受けて育ってないから仕方ないんじゃないとしか思えない。

娘は無条件で母親が好きだし、特にうちの母は自分をかわいそうに見せて娘の注意を引いて愛情を得るのが得意だったから姉ちゃんもお母さんの味方をしてるけど、冷静に色んなことを思い出してみれば母の異常さに思い当たるはずだよ。

 

カウンセリングで性のトラウマが治るかどうかはわからないけど、母の異常さのせいでうつ病にまでなるくらい対人の感覚がおかしくて苦しんでたのが、悪いのは自分じゃなくて相手だってことがわかってきて大分生きる感覚が楽になってきているから価値はあると思う。

 

一回50分で18,900円は高いけど、今まで被害妄想ですぐ落ち込んだり自分を責めたりしてたのが、こんな人ならこっちから願い下げとか私の人生に要らないとか、冷静な判断ができるようになってきている。

 

専門学校の彼が出て行った時に死ぬのが一番楽でそうしたかったのに、美穂の自殺がなくてもすでに人生三回分くらい苦しんでるお母さんの、美穂の自殺した後の残りの人生の責任取れない、と思って最後の最後で思いとどまった。

専門学校の彼と暮した間に今回の人生の幸せ全部使い切ったと思えるほど毎日世界一幸せだと思いながら生きてたから、もうこの先幸せなんてないだろう、ただ死んでないってだけで生命を維持してるだけの消化試合みたいな余生なんだろうなと思ったのに自殺しなかったのは母のためなのに、専門学校の彼が出ていったことを告げた時に母が吐き捨てる様に言った一言は「あんな可愛い子がお前みたいのと付き合ってるのが不思議だったんだよ。」 本当、死んでやれば良かったと思った。

 

弘と別れたのも私のメールを読めば普通にセックス出来ないハンデが原因だってわかるところを「結婚願望ないお前が悪い」呼ばわりでしょ。

そうやって、悪気はないけどなんでも私が悪いっていう言い方をする母親のせいで対人の距離の取り方や被害妄想で苦しんでたみたいだから、早く母から受けた傷によるトラウマや障害をなくしていきたい。

 

姉ちゃんは母よりは幼少期に性犯罪の被害にあって、世の中のほとんどをそのフィルターを通して知ってきたらどれほどセックスに対して嫌悪を抱くことになりそうかとか、現代の男女交際でセックスが出来ない人はほぼ土俵にあがれない感覚もわかってくれると思うから私がこれからの人生を絶望的に感じて母を恨む気持ちも少しはわかってくれるんではないかなと思う。

 

去年の5月には、朝起きた瞬間から夜、睡眠薬で眠りに落ちる瞬間まで自殺することしか考えられないほど絶望感に打ちひしがれて、普段の抗鬱剤に最終兵器と呼ばれる薬を追加してなんとか一命を取り留めたほど恋愛出来ない人生なんて地獄でしかないのに、自分が愛を知らないから恋愛出来ないことがそれがなんなの?大した問題なの?って理解出来ないにしても、姉ちゃんにサイドビジネスを断ったから怒ってるって相談するほど美穂の苦しみを1%も理解してくれないって知って驚愕だよ。

「これから先の長い人生、恋愛なしで生きなきゃいけないなら死ぬ方がマシ」って何回もメールに書いてるのに、日本語理解出来なくて頭おかしいからもう諦めてる。

この手紙を母に見せてもいいけど、多分何が問題なのか理解出来ないと思うよ。

 

とにかく今は顔も見たくない。

月一回通ってるカウンセリングが進んでいつか母に会ってもいいと思えるかもしれないしそうならないかもしれない。

母が私が母との連絡を絶っている原因をサイドビジネスを断ったせいかもしれないとか言ってるのが本当に信じられない。

 

姉ちゃんは板挟みになってつらいだろうけど、私が負ってるハンデを知ったら、それが人生においてどれほど絶望的なことで、だから恨まずにはいられない気持ちもわかってくれると信じたい。

 

これは長文でしか説明できなかった。

母がまた頭おかしいこと言ってたら姉ちゃんからも諭してあげて。よろしく。

姉ちゃんは愛のない家庭に育ったのに愛がいっぱいの人生を送ってくれててうれしいです。

いつまでも幸せにね。

 

美穂

選べなかった家族

小学校の同級生にお別れのメールをしたら返信はなかった。

その後、母にメールした。

 

弘とは別れたよ。

セックスなしでも愛してくれた専門学校時代の彼とオーストラリア留学の資金を貸してくれた彼以外全員同じ理由で別れてる。

会ったらセックスしなきゃいけないと思うと会いたくなくなって、会いたくなくなったら好きでもなくなるからそれで全員別れてる。

どうして私が性犯罪被害に遭った時に警察呼んでくれなかったの?

 

それに対する母の返信は、

 

弘君、結婚願望有って子供も欲しかったから結婚願望ない美穂といつまでも付き合ってても仕方ないと思ったんじゃないの?美穂みたいにお付き合いだけって訳にはいかないよ。みんな結婚したいんだから。

あの時はママ若くてどうしていいかわからなかったし、警察呼んだら周りに知れていい事なかったと思うよ。

 

私な激怒した、

 

私のメール読んだら百人中百人が私がセックスしたくないから弘をフったってわかるでしょ、何をどうとれば結婚願望ないせいで私がフラれた事になるの?昔は結婚しないとセックス出来ないから男の人も結婚したがってたけど今は結婚しなくてもセックス出来るから結婚したくない男が多くて結婚したい女が困ってる時代だって事知らないの?弘だってセックス出来るなら私と別れたいなんて思ってなかったよ。

周りに知れていい事なかったって、幼稚園児が性犯罪被害に遭った事を恥じて周りに知られたら困るなんて事ある訳ないんだからお母さんが幼稚園の送り迎えもしない怠惰な母親だって周りに知られたくない我が身可愛さに私を一生カタワにしたんでしょう?フラれたのは美穂が結婚願望ないせいだから私の責任じゃない、あー良かったって思いたいのかも知れないけど、結婚願望がないのもお母さん達のせいなのに、2人居る娘が2人共、物心ついた瞬間に「一生結婚しない!子供も産まない!」って言うほど結婚は人生の墓場としか思えない家庭に育てておいて、何で私がフラれたのは私が結婚願望ないせいだから私関係ないってなるの?

 

ここまで激怒しても母は理解しないで返信してきて、

 

そんな事言ったってパパの顔は誰が見ても優しそうな顔だったし結婚してみないとわからないでしょう。

 

とか何回メールの往復してもずっと的外れな返信ばかり返ってきて反省も謝罪もないから激怒のメールを送り続けたらやっと最後に、

 

美穂が結婚願望ないから悪いなんて思ってないよ。ママが悪くないなんて思ってないよ。美穂の人生を台無しにしたかもね、ごめんね。

 

というメールが来たから罪を認めて謝ったのかと思った。

だけどそれからもカウンセリングに通って世の母という生き物は気狂いだ、これはカウンセリング界の常識ですよと言われ、母のエピソードを語れば語るほど、母が異常だった事を思い知らされた。私は専門学校の時に付き合った彼と別れた時に入水自殺をしようと思ったのに最後の最後に踏みとどまったのは、これまで誰の目から見ても分かりやすく異常な、人間として成立してない夫を我慢して、嫁いびりを耐えて、遺産争いに耐えて、職場でもかっこうの的にされて、人生3回分くらいの苦しみを味わってきた母に、娘の自殺という追い打ちをかけたら母の残りの人生の責任取れないと、母の為に踏みとどまったのに、その人物が私の人生を滅茶苦茶にした犯人だったの?じゃあ自殺しない理由ないよね、私の人生をここまで苦しいものにした人には私の自殺という苦しみをお見舞いしたって構わないよね、そのカウンセリングの後、仕事と寝てる時間以外ずっと自殺の事しか考えられなくなって、それまで出されてた抗うつ剤とはレベルの違う、最終兵器と言われる離脱症状の大きい薬を飲んで何とか次のカウンセリングまで持ち堪えた。

私は前回のカウンセリングで自殺を踏みとどまった理由の母が自殺を踏みとどまってまで守る筋合いの存在じゃないと思ったら、もう起きてる時間は自殺しか考えられなくなったという治療の経過を伝えると、そのカウンセラーは言葉に詰まった後、死にたかったのは過去の話だよ、今じゃないと死なない様に諭した。

あのカウンセラーは何の資格もなく勉強と経験だけでカウンセリングをしていた三流カウンセラーだったのだと思う。私が後に通信制の大学で心理療法コースを取った時には、カウンセラーの誤った治療のせいでクライアントを死に追いやる危険もあるので気をつけなくてはいけない事を自分の身をもって学んだ。

 

母からのメールに対して絵文字を使わなくなって了解ですとかわかりましたとか最低限の返事しか書かなくなった月日が経ったある日、母が「美穂とずっとこんな風でいるのはいやだ、早く機嫌直して遊びにおいで、待ってるから」というメールを送ってきた。

前のメールで美穂の人生を台無しにしたかもね、ごめんね、と書いてたから罪を認めて謝ったのかと思ってだけどそれは間違いで、私が性のトラウマのせいで恋愛に大き過ぎるハンデを背負わされて絶望している事は、母の中では"私が機嫌直すべき類の事"だという認識だとわかった瞬間に母の顔を二度と見たくないほどの嫌悪を抱いた。

 

だから私はそのメールに返信した、

 

恋愛するのに大き過ぎるハンデ背負わされて残りの人生恋愛なしで生きなきゃいけないなら今すぐ死んだ方がマシだ、自分が被害者みたいな言い方しないで!

 

母はこの返事を読んで「美穂が何言ってるか分からない」と姉に助けを求めた様で姉から手紙が届いてそれから複数年にわたって姉と手紙のやり取りをする事になる。

 

ちなみに姉は私が高校卒業と同時に自立したのと対照的に、私が自立した2倍の年齢まで親に面倒を見てもらっていた。

月三万円入れるだけで豪華な食事とトイレや廊下にまでヒーターの入っている新築の家で暮らしながらデートとテレビと部屋で音楽聞くという好きな事だけをして暮らすライフスタイルを続け、実家に入れる三万円がなくなったら仕方なくしばらく働き、またしばらく遊べるお金が貯まったらまた遊ぶだけの生活を送っていた。

 

遠距離恋愛の彼氏が大学を卒業して札幌の実家に帰って来たが、彼氏も姉と毎日デートして10年以上教員試験に落ちていた。

教員試験の為に働かないならわかるが姉と毎日デートする時間をバイトして実家にいくらか入れるべきだと思うのに、頭の中お花畑カップルは何の疑問も持たず「何でみんな働くんだろうね、月三万円入れれば仕事しないで毎日遊べるのに。毎日デート楽しいね❤️うふふあはは」の駄目人間カップルであった。

 

まともな価値観であれば「何年も教員試験落ち続けてるから私とデートする時間も勉強に充てた方がいいよ。別れよう。私とのデートがなくなって出来た時間で少しでもいいから実家にお金入れるべきだと思うよ、いい大人なんだから」という話になるはずだから、頭の中お花畑同士が出会って付き合う事になったのは運命だと思うけど、価値観は自分が身を置く環境によって作られるから、本当に子供の事を大事に思ってたら遅くとも30歳過ぎたら実家出て自立しなさいと自分の寂しさ堪えて自立させると思うのに、出て行かれたら寂しいから働かなくてもいいから出て行かないでと彼女の方も彼氏の方も子供より自分の方が大事な親とそういう親を持つ者同士の価値観にしか普段身を置かなければ、そりゃ私の様にずっと働き続けて失敗したり挫折したり友達失ったりする事で、高校まで身を置いていた環境によって作られていた異常な価値観が異常だと気付いて修正して生きてきた人間の様に高いレベルの価値観にステップアップしていく訳がない。

 

しかもマトモな価値観の人ほどこの頭の中お花畑の人から得る物なんて何もない、忙しいんだから付き合いを続けるべき人とそうでない人を見極めて自分の限られたプライベートの時間を投資していくよ、と離れていくから益々マトモな価値観に触れる時間は減り、学生の時よりもおかしくなっていってる姉とその彼氏を私はずっと駄目人間と思って周りの人にも話していた。そこまでの駄目人間の話はちょっと他に聞いた事ない、私と同じ家に生まれてそんな風になるのが不思議だ、美穂は何に対しても一生懸命努力していて、その美穂の姿勢に刺激されて勉強始めたり留学の決意固めたり、尊敬されてる妹を持つ姉なのにね、とみんなビックリしていた。

 

自立しないまま結婚して今でも何も出来なくて親に頼ってるから親を否定する事は自分を否定する事になるのだろう。

これから紹介する手紙のやり取りでそれはわかってもらえると思う。

恋愛が出来ないなら死んだ方がマシだ

恋愛が必要ない人も居る様だが、それは恐らく親なり兄弟なり祖父母なり、周りに愛されて育ったからなのだろう。

 

でも私が愛される手段は恋愛でパートナーを得る他なかった。

 

だけど男は所詮、性欲が大きい生き物だから、性的な行為に嫌悪を抱いている私には男性と交際しようと思っても性のトラウマが最大の障壁となった。

この人こそはと思った人に性犯罪被害の事とそれによって性のトラウマが大き過ぎて心の準備に時間が掛かる事を告げて、相手が君の心の準備が出来るまで待つよ、と言うくせに付き合ったら手を出して来るので好きな気持ちもなくなって別れたり、両想いになっても付き合ったら性行為をしなくてはいけないだろうから両想いのまま付き合わないという選択肢ばかりを取る様になった。

でもそれではパートナーは出来ないし、恋愛出来ない人生に全く意味を見いだせなかった。

 

そのうち自然な出会いがなくなって合コンに行く様になったけど、学校や職場など、まず私の人間性を知ってから恋愛に発展する場合と違って、ヤレないなら要らない、他にヤレる女がいくらでも居るのにお前に拘る理由ねーよって感じの出会いしかなくなって、いよいよ絶望的になってきた。

 

レズビアンになる事も考えたが、私は複雑で意味不明な女という生き物が男よりも理解出来ないし嫌いで耐えられなかったから、やっぱり性のトラウマに理解のある男をみつけたいと思った。

 

そんなある日、SNSを通じて小学校の時のクラスメイトとやり取りして、札幌で会う事になり、付き合う事になった。

だけど結局はセックスが嫌で別れたい気持ちになり、ずっと行きたかったけど経済的に無理で行けなかったカウンセリングに行く事にした。

 

カウンセリングで、やれないなら要らない様な男はこっちから要らないから別れた方がいい事と、そしてずっと私が守らなくてはいけないと思っていた母そのものが、保護責任者遺棄罪で最低限保護を必要としている時に幼稚園の送り迎えすらせずに、そうしたら必然的に起こる性犯罪の被害を受けても警察も呼ばなければ家族会議もしない、我が身可愛さに隠蔽しないでその時母が取れた最善の対処をしてくれていたら私のトラウマは現時点の状態よりはるかに軽いものに成り得ていた事をきいて、初めて母という存在について目が覚まされた。

 

そこから母に連絡を取っても、全く検討違いの返事しか返って来なくて、それで本格的に母という人間の評価をし直した結果、思い込みは晴れて、真実を知った代わりに血を吐く様な苦しみを乗り越えて家族に対する認識を改めるステージに移った。

 

性のトラウマの呪い

入学して1か月くらいで彼氏ができた。

高校三年生の時に付き合ってくださいと言われて付き合った彼は、運動神経がいいのを知ってたからテニスとかバドミントンの相手になって欲しくて付き合ったが、好きでもないし自分に酔って気持ち悪かったので数週間で別れた。

キスどころか手も繋がなかった。

 

だから専門学校でできた彼氏が初めての相思相愛のお付き合いの相手だった。

私は面喰いだったので、イケメンな所がポイント高かった。

私も相手もどちらも付き合うと明言してないのにお互いを彼氏彼女と認識していた。

 

気が合ったし趣味もそこそこ合ったので仲良かったし好きだったけど、私が性犯罪被害のトラウマで性的な行為をする心の準備が出来ないと言ったら、私の心の準備が出来るまで待つよと言ったくせに、2人で同じベッドで夜を過ごすと回を増す毎にドンドンさかって発情の度合いが強くなってきたので、次2人きりで会ったらヤられる、と避けてるうちにフラれた。

半年に満たないくらいの交際だった。

 

1年生の間に次の彼氏が出来た。

好きと愛してるって全く別物なんだという事に気づかされた。

人前で泣く事が出来なくなってた私がまた泣ける様になっていた。

迷いなく心臓を譲れるくらい愛していた。

そんな彼が私を愛してくれて毎日幸せだった。

毎日毎日、私は世界一幸せだと思って生きていた。

 

彼を失った時、当然死にたいと思ったけど、一生分の幸せを使い切ったと思ったほど本当に心の底から幸せだった。

 

自分の欲求よりも私の心を尊重する男がこの世に確かに存在するという事をこの人のおかげで知っていなかったら、本当に私は一粒の希望も持てないのに、だけど自殺だけは絶対にしてはいけないという絶望にもっとやられていたに違いない。

 

私が自動車の運転免許を取る為に専門学校を卒業してすぐ短期間だが実家に戻ってる私の留守の間に、私だったら自己嫌悪で死んでしまうと思うほどのズルい事や酷い事をして私からその人を奪った女がどんな事をしたのか暴露してやりたい。

 

彼が色仕掛けには引っかからないとわかって、人が信じられない、電車にすら乗れない、弱って助けが必要だという、今まで付き合った男達みんなにも使った常套句で、看病が必要だから来てと言って、彼はずっとその共通の同級生の女の家に寝泊まりする様になった。

 

私がそれに気が付いて神奈川の部屋に戻ったら、しばらく知人の家を渡り歩いて考えたい、絶対戻ってくるから待っててと言って出て行ったけど、その間にその同級生の女の女に電話した時に彼がどこに居るか知らないと言った。私と彼が二年以上も一緒に暮らしていて誰もが知ってるほどラブラブだから彼と美穂ちゃんは絶対大丈夫とまで言った。だけどその日も彼が住んでいたのはその彼女の家で、私が働いている会社の最寄駅の掲示板にわざわざ私の彼宛てのメッセージを私に見せつける為に書いていた。他にも信じられない事沢山ある。許せない。

 

絶対戻ってくるから待っててと言ったのに彼はその彼女を選んで私と別れるので荷物を取りに来た。彼が切り出せないから「そんなに言いづらいもんかね」と私が助け船を出したらホッとして「別れよう」と言って彼女の元へ行った。

 

彼が浮気したら彼を殺して私も死ぬと彼の浮気は封じるくせに自分は複数の男とセックスしまくって、彼が幸せになるならと身を引いた私に電話でわざわざ彼にキスしている所を見られたけど時間置いて帰って、彼に責められたからキスなんてしてない、なんでそんなありもしないこと言って責めるの?!と逆切れしたら、お前は逆切れするからもう責めないよって言ってた事を伝えてきたり、仕事の話されても私つまんないとか、私は人が仕事のやりがいとか楽しさとかを話すのを聞くのが大好きだから、私と居た方が幸せだったとしか思えない事のオンパレードだった。

何か精神の病気なんだろうけど、あんな風にズルい手を使って奪われるのではなく、正々堂々と勝負して奪ってくれてたなら私もここまで引き摺らないと思う。

 

何年も彼が待ってくれた結果、別れる何か月か前に彼と時間をかけて肉体的にも一つになったけど、それでも私の人生にセックスは必要ないとしか思えない。

 

結婚した当時、夫よりこの彼の方が好きだった。

夫婦生活を送るうちに彼より夫の方がいいと思えるようになった。

 

それなのに、ここ数ヶ月結構な頻度で彼の夢を見て夢の中で彼の事が好きだ。

きちんとお別れ出来てたらきっと違ってただろうから悔しい。

新型コロナウイルスのワクチン接種を受ける決意をした頃からだろう。

副反応で死ぬかも知れないから最後にせめて一度だけでも会いたいという気持ちが強く作用したのかもしれない。

 

姉が北海道内の遠距離恋愛の彼と毎晩長電話しないで彼が私に電話する度に私に繋がっていたら、姉が実家の電話を我が物顔で毎日長電話で使うのであればせめてキャッチホン代くらい払って手配してくれていれば。

私が実家に居る間だけでも私がキャッチホン代払ってつければ良かったと思ってだけど、私は神奈川の自分の部屋の電話の権利も店に給料前借りして75千円出して買って毎月の基本料金もキャッチホン代も払ってるのに、何で姉は実家の電話をキャッチホン代も通話料も払わずに毎日長電話出来るの?何で親は何も言わないの?私が出て行ったのにその上姉にキャッチホン代や通話料払えって言って出て行かれたら寂しいから電話代くらい気にしないって?彼が私に電話する度に私に繋がってたら別れてなかった90%以上の自信があるのに私と彼が別れた事を知った時悔しかったってどいつが言ってるの?別れた原因の張本人がよくもぬけぬけと。

姉が遠距離恋愛の彼と別れたら私と彼の仲を引き裂いておいてって責めようと思ってだけど結婚して恐らくもう離婚できないだろうから言えない。

だけど私と彼が別れたのを知った時は悔しかったって言う資格がない2人のうち1人は貴方ですよ、姉。

 

当然もう1人はあの人をズルい事して奪った挙句あの人を幸せにもしなかった元同級生の女だ。

 

自立

私が高校生の時の北海道の最低時給は530円だった。

スーパーのレジ打ちで夕方5時から9時まで4時間働いても2000円ちょっとの収入なのに、レジを締めてレシートの控えの記録と実際にレジの中にある現金の残高に500円以上の差が出た時は、何度も数え直し、差が出た原因と思われる両替などを説明する始末書を書かされた。

 

着ぐるみのバイトの方も幾多の挫折を味わい、「お前クビ」と言われた事も有った。

お金を貰うという事の厳しさも責任を果たしてから辞めなくてはいけない事も高校1年の時点で身を持って学んでいた。

 

父の月給が40万円位で母の月給が50万円位だったので、ボーナスも合わせれば一千万どころじゃない世帯年収だったのに、お小遣いは高校1年の時が3000円、2年の時が3500円、3年の時が4000円で母方、父方どちらも親族の集まりが無くてお年玉がもらえなかったので、全然無駄遣いしないで貯金したのに高校の3年間で十万円しか貯める事が出来なかった。

 

バイクを買いたくて貯めていたが、関東で一人暮らしを始めた時の洗濯機や掃除機などの購入で全額なくなってしまった。

 

ただ運が良かったのは、私が高校を卒業するくらいの時代には、新聞奨学生制度が有った。

今はスマホで新聞を読む人がほとんどだから新聞奨学生制度はなくなっているかも知れない。

 

新聞奨学生は大抵、朝刊配達と夕刊配達をして、その新聞販売店に家賃を払ってもらったりアパートの部屋もしくは新聞販売店2階に住み、給料をもらってそこから水道光熱費や食費を捻出する。

 

1年続ければ60万円の奨学金を貰えるし、4年間続けられれば私立大学の学費が全額払えるほどの奨学金が貰える。

 

私は新聞配達ではなく、配達員達の朝食と夕食を作るまかない作りとして雇われた。

引っ越し費用も新聞販売店が出してくれたので、資金が無いけど実家を出る事が出来た。

 

母の手伝いで餃子の皮を包む事などは出来たが、実は味噌汁の作り方すら知らなかった。

店の奥さんが献立を考えてスーパーで買い物した物を冷蔵庫に入れておいてくれて、ちょっとしたメモみたいな物が添えられてる時にはその指示に従ったが、本当に最初の頃は料理の仕方を教えてくれた。

 

私は一人暮らしが始まった時に寂しいと1秒たりとも思わなかった。

私自身の悩みでしか泣かなくていい、私自身の人生が始まった!と胸が張り裂けそうなほど幸せな気持ちになった。

一人暮らしをする為に生まれてきたと思った。

 

私は知力の高い遺伝子を持って生まれたが、実家を出る事を目的に受験したので、大阪と山梨の公立大学と神奈川の専門学校を受験した。

仕送りなしが家を出ていい条件だったので私立大学は受けなかった。

 

ベビーブームの頂点に生まれたので唯一合格した専門学校ですら倍率28の厳しさで合格出来たのは奇跡に近かった。

 

入学式の後、新聞奨学生じゃない同級生達はそのまま親睦を深める為の飲み会に行った。

新聞奨学生は仕事を休めないので参加出来ず帰って配達員達の夕食を作った。

 

次の日登校すると、クラスメイト達はお互い呼び捨てやあだ名で呼び合っていて、既に打ち解けていた。

私の様な地味な女1人気にしなくても誰も困らない、そういう疎外感を感じた。

一人暮らしは寂しくないけど、同じスタート地点から出発出来なくて居場所がないのは寂しいと思った。

 

私は1人で居る事を寂しいと感じる事は今に至るまでない。

寂しいという感情を得るのは、親なり兄弟なりに愛されて育って、その愛してくれている相手が近くに居ない時に覚える感情なのだと思う。

親にも姉にも愛されずに育った私は、離れて寂しいという感情を覚えずに育ったのだと思う。

 

だけど身寄りの1人も居ない関東に身一つで来て、これから3年間ずっと同じクラスメイトと時を過ごすのにそのコミュニティに居場所がないのは違う種類の寂しさだった。

 

実習の時、私以外は夜まで残るのに、新聞奨学生の私だけに講師陣が「もう帰っていいぞ」と、別待遇されるのが嫌になった。

だから1年生の間に2年生、3年生分の家賃を貯めて1年生の終わりに新聞奨学生を辞められる様に長期休暇や土日にバイトをした。

本当は新聞奨学生はバイト禁止だったが、私の人生が制限されるのが嫌だった。

 

新聞販売店の関係者に見つからない様に違う駅まで電車で通ってファミリーレストランのウェイトレスをしたり、牛丼屋の時給が高かったので、朝刊配達が終わったら牛丼屋で昼までバイトして、一旦家に帰って束の間の仮眠を取ったら夕刊の仕事をして、それが終わったらまた朝刊配達の直前まで牛丼屋でバイトした。

本当に寝ないで働いた。

 

まかないを食べていた新聞配達員のうちの1人が遅刻が多過ぎてクビになり、その人と夕食をツマミに飲む為にまかないを食べていた配達員があいつと飲めないなら同棲してる彼女の手料理食べるわとまかないを解約し、別の配達員は旦那も子供も居る新聞販売店の事務のパートのおばちゃんと駆け落ちで居なくなり、まかないを食べる人数が少な過ぎるので私は配達に回されていたのだ。

 

でもまかないの時には配達員が食べ終わった頃に店のダイニングルームに行って皿洗いなどの片付けをしなくてはいけなくて拘束時間が長かったので、配達になった方がバイトをするには好都合だった。

寝ずに働いたおかげで1年生の間に120万円貯めた。

これで2年生、3年生の間は水道光熱費と食費くらいのバイトで済む状態にした。

 

だけどまだ成長期も終わってない十代の頃から、2週間2000円で3食食べなきゃいけないからふりかけと卵かけご飯と納豆と魚の缶詰で食いつなぐ、腐った物を腐っているとわかって食べてもお腹壊さない、手に入る物は何でも食べないと飢えをしのげない、そんな過酷な生活をしてでも自力で生きてた私に後に母と姉が名誉毀損にあたる仕打ちを畳み掛けてくるのだから、本当に選べない家族というものは呪いとしか思えない。

 

実家暮らしの人達は年賀状は自然に湧いて出る物だと思ってるけど私にとっては食事を犠牲にしてならやっと買える贅沢品だったので返事送らなかったら次の年から誰からも来なくなった。電話も75千円もするNTTの権利を店から給料前借りして3か月払いで返してまで引いたのに通話料という贅沢にお金を割く余裕はなかったので自然と北海道時代の友人達とは縁が切れた。

忙しくて話す時間があるなら寝たいというのもあった。

 

私は甘えなかった。

選べなかった環境が最悪なら自分の手で自分の未来を作るべきだと思った。

高校までは実家を出られない。

だけど高校を卒業してからの人生は全て自分の責任だ。

私だけでなく、みんなそうだと思っている。