恋愛が出来ないなら死んだ方がマシだ

恋愛が必要ない人も居る様だが、それは恐らく親なり兄弟なり祖父母なり、周りに愛されて育ったからなのだろう。

 

でも私が愛される手段は恋愛でパートナーを得る他なかった。

 

だけど男は所詮、性欲が大きい生き物だから、性的な行為に嫌悪を抱いている私には男性と交際しようと思っても性のトラウマが最大の障壁となった。

この人こそはと思った人に性犯罪被害の事とそれによって性のトラウマが大き過ぎて心の準備に時間が掛かる事を告げて、相手が君の心の準備が出来るまで待つよ、と言うくせに付き合ったら手を出して来るので好きな気持ちもなくなって別れたり、両想いになっても付き合ったら性行為をしなくてはいけないだろうから両想いのまま付き合わないという選択肢ばかりを取る様になった。

でもそれではパートナーは出来ないし、恋愛出来ない人生に全く意味を見いだせなかった。

 

そのうち自然な出会いがなくなって合コンに行く様になったけど、学校や職場など、まず私の人間性を知ってから恋愛に発展する場合と違って、ヤレないなら要らない、他にヤレる女がいくらでも居るのにお前に拘る理由ねーよって感じの出会いしかなくなって、いよいよ絶望的になってきた。

 

レズビアンになる事も考えたが、私は複雑で意味不明な女という生き物が男よりも理解出来ないし嫌いで耐えられなかったから、やっぱり性のトラウマに理解のある男をみつけたいと思った。

 

そんなある日、SNSを通じて小学校の時のクラスメイトとやり取りして、札幌で会う事になり、付き合う事になった。

だけど結局はセックスが嫌で別れたい気持ちになり、ずっと行きたかったけど経済的に無理で行けなかったカウンセリングに行く事にした。

 

カウンセリングで、やれないなら要らない様な男はこっちから要らないから別れた方がいい事と、そしてずっと私が守らなくてはいけないと思っていた母そのものが、保護責任者遺棄罪で最低限保護を必要としている時に幼稚園の送り迎えすらせずに、そうしたら必然的に起こる性犯罪の被害を受けても警察も呼ばなければ家族会議もしない、我が身可愛さに隠蔽しないでその時母が取れた最善の対処をしてくれていたら私のトラウマは現時点の状態よりはるかに軽いものに成り得ていた事をきいて、初めて母という存在について目が覚まされた。

 

そこから母に連絡を取っても、全く検討違いの返事しか返って来なくて、それで本格的に母という人間の評価をし直した結果、思い込みは晴れて、真実を知った代わりに血を吐く様な苦しみを乗り越えて家族に対する認識を改めるステージに移った。